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パリでの北野武関連のお話を2週にわたってお送りしましたが、その前、ナンシーのアールヌーヴォー関連の記事を書きましたので、その続きをお話ししますね。
今回はアールヌーヴォーの時代まっただ中に行われたパリ万国博覧会です。 以前、エッフェル塔をご紹介したときにパリ万博のお話をしました。産業革命が終わり、イギリスやフランスらヨーロッパの列強がこぞって自国の工業製品の技術の高さをお披露目し、植民地や彼らのまだ知らない国の珍しいものを展示したのが万国博覧会です。1889年にパリで行われた国際博覧会のために、当時最先端の技術を駆使した鉄のエッフェル塔がつくられたのでした。 こちらは1900年パリ万博の入場券です。 1889年のパリ万博も大盛況のうちに幕を閉じたのですが、次の1900年のパリ万博はそれをはるかに上回る入場者数を記録します。 この万博のために建てられたのが、今もシャンゼリゼ大通りとコンコルド広場の間あたりのセーヌ川近くにあるグラン・パレとプチ・パレ、アレクサンドル3世橋です。 1900年の4月15日に正式オープン、なんと11月12日まで212日間の開催。 会場は先の2つの会場をはじめアンバリッド、シャイヨー宮、シャンドマルスのエッフェル塔とシャンゼリゼ一帯と、ヴァンセンヌの森一帯でした。 5100万人の人出ということで、フランスが開催した万博では最大でした。当時のフランスの人口が4100万人でしたので、どれだけの人出か想像できるかと思います。 ベル・エポック(良き時代)と呼ばれる、景気もよく平和で浮かれた時代のイベントだったのです。 パリ万博開催時のセーヌ川あたりの風景画 オープンには間に合いませんでしたが、パリ祭の7月14日に会場のヴァンセンヌの森とシャンドマルス一帯を結んでポルトマイヨへ行くメトロが初めて開通します。今の1番線ですね。 ホテルを備えた国鉄のオルセー駅(現在のオルセ=美術館です)もオープンし、多くの旅行者がフランス中からパリ万博を観にやってきました。 それから、「動く歩道」や電車も各会場を結ぶためにつくられたのだそうです。 電気のおかげで夜間営業も大好評でした このときのテーマは『19世紀総決算』というような感じで、最新の技術をもってつくられた工業製品、植民地のエキゾチックなもの、過去のフランス美術、現在の各国美術、装飾美術の展示がそれぞれの会場で観られたそうです。19世紀に発明されたテクノロジーが私たちの生活を便利に、豊かにしてくれているということを再確認するような展示内容のような気がします。例えば19世紀に発明された電気を大量に使った噴水のイルミネーションなんかもありましたし、電気のおかげで可能になった夜間営業もまた幻想的でパリ万博を訪れたすべての人々を圧倒したそうです。 リュミエール兄弟の音声付き映画も上映されたらしいですよ。スクリーンは巨大で、21メートルの16メートルだったそうです!コンコルド広場に建てられた巨大なモニュメントもそうですが、とにかく壮大な規模で行われたパリ万博だったのです。 このイラストは45メートルの高さ、2つの尖塔をもつコンコルド広場に建てられた「入り口」だそうです。巨大! 1900年のパリ万博で一躍人気になったのが、アールヌーヴォー様式です。装飾美術の展示の中には、ルネ・ラリックの宝飾品や、エミール・ガレのガラス工芸(パリ万博大賞を2つ、金賞を1つとりました)、サミュエル・ビング(美術商でアールヌーヴォー名付けの親)の集めたアールヌーヴォー様式の家具などを展示した館などがありました。ガレをはじめとするナンシー派のアーティストは、いろいろな国の博覧会にアールヌーヴォー様式の作品を出品しまくっていましたので、アールヌーヴォー自体の知名度もあがり、大々的に宣伝することで流行になったのだと思います。 ちなみに開通したメトロの入り口はギマールによるアールヌーヴォーの装飾でしたし、オルセー駅の装飾にもアールヌーヴォーが使われていました。19世紀に実用化された鉄によって、建築物にも柔らかい曲線の装飾ができるようになったのですね。 いかがでしたか。オルセー美術館やエッフェル塔など、現在の観光名所の多くが、パリ万博のためにつくられたモニュメントだったんですね。次回はプチパレをご紹介したいと思います。 イラスト、写真はこちらからお借りしました。 パリ万博について当時の図版とともに詳しく紹介してあるサイト パリ国立図書館の万博に関するサイト
by paris_musee
| 2010-04-05 00:00
| ミュゼ以外の歴史的建造物
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