パリにあるとっておきミュゼをご案内します
by paris_musee
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリ
有名ミュゼ
お城ミュゼ
邸宅ミュゼ
テーマミュゼ
企画展
ミュゼ以外の歴史的建造物
その他
以前の記事
2010年 04月
2010年 03月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
2009年 07月 06日 ( 1 )
マリー・アントワネットを訪ねて フランス革命 パート1 ーカルナヴァレ美術館ー Musée Carnavalet

また悲劇の王妃のお話に戻ります。
マリー・アントワネットを語るとき、
彼女の人生の後半をさけて通ることができません。
自由奔放と浪費の代償とも、
革命の嵐に飲み込まれた犠牲者ともとらえることができますが、
あまりにドラマティックで壮絶な最期を迎えた彼女の人生は、
他の歴史にも例がないほど残酷でした。

そんな悲劇のヒロインの顛末を知るには、
前にもご紹介したマレに位置するカルナヴァレ美術館がオススメ。
以前「貴族のおうち」ということでご紹介したミュゼです。
パリの歴史博物館ともいうべきこのミュゼの2階(日本式の3階)は、
フランス革命に関する資料がたくさん展示してあります。
f0197072_19161464.jpg

フランス革命の始まりとされる7月14日のバスティーユ牢獄襲撃の絵

フランス革命史は研究が進んでいるのでどこまでも細かく説明できてしまう分野だと思いますが、
(もちろん私は専門家ではないので、詳しく説明することができませんが)
できるかぎりサラっとわかりやすく展示品を交えてご紹介できればと思います。

f0197072_19153610.jpg

フランス革命の展示室。この石膏像は、王権に有利なように憲法を作ると国王に密約していたミラボーさん。借金が多くて女遊びがひどかったんですが、国王一家はこの人にたよらざるを得ない状態でした

マリー・アントワネットや王侯貴族が退屈な毎日をハデに遊んでヒマつぶししているとき、
天候不良による凶作とたびかさなる増税が相まって、
農民たちは日々の糧であるパンすらも食べられない生活を余儀なくされていました。
ヴェルサイユの乱痴気騒ぎは風刺新聞などにより誇張されて人々の知るところとなっていたので、
貧困への怒りの矛先は、当然ヴェルサイユにむけられるのです。

f0197072_19152051.jpg

ダヴィットによる絵画。中央で本(宣誓文)を読んでるのが後にパリ市長になるバイイさん
政治的には、300年ほど開かれなかった平民身分の代表も含む議会の招集が決定するのですが、
貴族や僧侶身分のみ集まって、平民を閉め出してしまいます。
そこでヴェルサイユ宮殿の敷地内にある「ジュー・ドゥ・ポウム」(球戯場)に集まって
「平民の権利が認められるまで一致団結するぞー!」と宣言をするのです。
これが世界史の教科書でもおなじみの『テニスコートの誓い』です。
よく貸し出してしまっているのですが、カルナヴァレ美術館の所有で運がよければ見ることができます。

f0197072_19155483.jpg

この展示室には襲撃に使われた武器やバスティーユ牢獄のマスターキーなども展示されています
そして7月14日のバスティーユ牢獄の襲撃。
この爆撃されたバスティーユ牢獄の破片で作られたミニバスティーユ牢獄が展示されています。
今では雑貨屋やセレクトショップ、おしゃれなカフェやレストランが立ち並ぶ若者の街になっているバスティーユですが、
ここにあった牢獄を平民たちが襲撃したことで、フランス革命がフランス全国に飛び火します。
ちなみに現在、毎年7月14日はフランスのお祭りの日となっています。
パリ祭と日本では呼ばれていますが、昼は軍事パレード、夜はエッフェル塔の大花火大会と賑やかな一日となり、
この日を境にパリジャンは長い夏のヴァカンスムード一色となるんです。

ソフィア・コッポラの映画『マリー・アントワネット』はこの場面で終わるのですが、
農民、主に家計を預かる女性がパリからヴェルサイユ宮殿まで抗議の行進をします。
「私たちと一緒に逃げてください」という臣下の声を振り切って、
ルイ16世一家はヴェルサイユ宮殿に残ってしまうのです。
怒り狂った農民たちは、ホンモノのマリー・アントワネットの美しさにしばし戦意を喪失しますが、
翌朝、宮殿を守る近衛兵を殺して宮殿に乗り込みます。
そして王様一家は長年住み慣れたヴェルサイユ宮殿を離れ、農民たちにパリへ引き渡されてしまうのです。
f0197072_19163452.jpg

これは「人権宣言」。最初ルイ16世はこの採択を拒否するんですが、革命が進むにつれて承認しなくてはならなくなりました

ヴェルサイユ宮殿の次に彼らの家となったのが、今のチュイルリー公園内にあったチュイルリー宮殿。
(ルーヴル美術館の建物ではなくて、のちに壊されました)
荒れ果てたこの宮殿を急遽リフォームして、なんとか王家の居室となりました。
この時点では庭を散歩したり、人を招いたり、郊外の離宮へ外出したりと、
かなりの自由が認められていたそうです。
それでも絶対王政は崩れ、国民議会の監視下に置かれていたので事実上の幽閉でした。

1789年に次々とこのような事件が起きて、ルイ16世とマリー・アントワネットの生活はガラリと変わります。
その後少しだけ革命は小康状態になるんですが、ご存知の通りまだまだ彼らには試練が待ち受けているんですよね。
では続きは来週また!


カルナヴァレ美術館Hôtel Carnavalet 

23, rue de Sévigné
75003 Paris
電話 : 01 44 59 58 58
Fax : 01 44 59 58 11
メトロ Saint-Paul(1番線) Chemin vert(8番線)
開館時間 10時から18時(レジは17時半で閉まります)
休館日 月曜日、祝日
入場料 常設展示 無料 /企画展示 4.5ユーロ(18歳以上26歳未満は3.8ユーロ)



[PR]
by paris_musee | 2009-07-06 00:00 | 邸宅ミュゼ