パリにあるとっておきミュゼをご案内します
by paris_musee
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カテゴリ:邸宅ミュゼ( 11 )
ギュスターヴ・モローが過ごした邸宅 ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau
あけましておめでとうございます。
今年もまだまだたくさんあるパリのミュゼ情報を発信して行きたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。


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3階の天井の高い大アトリエ。向こうに見える螺旋階段をのぼって4階のアトリエに行きます
さて、引き続きモロー美術館です。
実は10年ほど前に観光客として母と訪れたことがありました。
当時は美術館巡りに一生懸命で、どんな辺鄙なところでも早朝から出かけては暗くなるまで美術館のハシゴをしたものでした。
インターネットが今ほど普及してなかった時代、ガイドブックに載っていないような美術館もどうにか調べて行きました。
今回再び訪れてみて、こんな行きづらいところによく行ったものだなーとちょっと感心してしまいました。

この美術館、12番線のSt GeorgeかTriniteから歩いて行くのですが、
場所的にはプランタンなどのデパートや、最近オープンしたユニクロなどのあるオペラの北側でありながら、とっても閑静なカルティエ(地区)です。
現在は学校や会社のオフィスなども多いですが、もともとここは19世紀の新興ブルジョワが好んで住んだ住宅街です。
la Rochefoucaud通りの14番地の建物はまるごとモロー家の邸宅だったようで、彼もまたお金持ちのご子息だったのでしょう。

19世紀の中ごろ、26歳のときに両親がこの建物を購入します。
その前はもうちょっと北のモンマルトルの丘のふもと、ピガールというカルティエにアトリエを借りていました。
パリに住む人は、気に入ったカルティエからなかなか離れないと言いますが、
モローもまた今で言う9区(オペラ裏からモンマルトルの丘のふもと)あたりがお気に入りだったんでしょうね。

このミュゼでは入り口の重い扉を開くと小さなミュージアムショップ兼チケット売り場があり、すぐに階段をのぼって2階にいきます。
現在は2階が住居部分、3階と4階がアトリエになっていますが、3階と4階をアトリエに改造したのは彼の亡くなる3年前なのです。
当時は4階の一部のみがアトリエで、他は両親の部屋や彼の部屋でした。
それを死後に美術館にして作品をまとめてみんなに見せたいということで、急遽大改造をしたのです。
どうりで作品を展示しているアトリエがとっても広いのに、住居部分が狭いんだなーと思った訳です。
しかも公開されているお部屋には家具が所狭しと並んでいます。
大アトリエ作るときに取り壊した両親の部屋などに置いてあった家具が、2階のお部屋にギュウギュウに並べてあるからなんですって。
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2階にのぼるとすぐに書斎があります。
2003年に公開されたということで、10年前に私が訪れたときは観ることができませんでした。
この部屋もまたモロー晩年の大改修のときに作られたそうです。
彼は友人、知人がやってくると、この部屋に迎え入れました。
ここに展示されているのは、彼が集めた貴重な本や、父が大切にしていた建築関係の蔵書、親子で収集したセラミックやブロンズ、石膏のオブジェなど。
紀元前にさかのぼるものもあるんですよ。
そして壁一面にはデッサンがたくさん掛けられています。
これはモローがルーヴル美術館やイタリアの各都市で模写したラファエッロ、ベラスケス、ヴァン・ダイクなどのデッサンや油彩、水彩などです。
配置もモローによるものだとか。
muséeの中のmuséeとも言えるお部屋なのです。
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小さな食堂です。
19世紀中ごろに購入したとされるルイ16世様式(新古典主義様式)の椅子や、モローのデッサンや他の画家の版画も壁に飾ってあります。
ちょっと豪華な壷や食器などはお父さんのコレクションでしょうか。
小さな食堂ですが、高価な家具や食器を取り揃えているのをみると、モロー家が19世紀のお金持ち、新興ブルジョワジーだったことがわかります。
現在のこの配置は残った写真を見て再現したのだそうです。
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スカイブルーのきれいな寝室ですが、ちょっとものが多すぎる印象があります。
それはさっき書いた通り、モローの母の居間にあった家具など、家族の思い出の品をアトリエ大改造のあとこちらに移動したからなのです。
母が寝室で使っていた机とモロー自身が使っていた家具が一緒に置かれています。
家族の肖像画や写真、デッサンが飾られていて、モローにとってここは家族の思い出の場所だったのかもしれません。
ちなみに女性の胸像がついている小さなベッド、花瓶の象眼が美しい棚などの家具は19世紀に流行ったナポレオン様式のものです。
ものがたくさんあってゴチャゴチャしがちですが、色や様式を統一したりすると意外としっくりきますね。
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寝室の奥にboudoirという小さなお部屋があります。
こちらも寝室と同じスカイブルーの壁紙に、引き出し、椅子、机、棚、や額縁や壁掛け時計、燭台、絵皿などが所狭しと飾られています。
モローは生涯独身でした。
けれど30年以上も仲良くしていたアレクサンドリンという「最良の唯一の友」がいました。
その彼女の思い出の品と両親の寝室にあった品を展示しているのがこちらのお部屋なのです。
モローの小さな作品もいくつか壁にかけられています。

いかがでしたか?
アトリエの大改造がなければもっと広々とした住居部分がみれたかもしれませんが、
モローには跡継ぎがいませんでしたので家を守ることよりも、画家として作品を守ることを決めたのでした。
この大改造とモローの作品整理のおかげで、彼の未完の作品やノートの切れ端に描いたようなデッサンなど、
大きな美術館で観ることができないような彼の軌跡も目にすることができるのです。
彼の使った家具がそのままになっているお部屋を巡ると、そのアーティストの考えたこと、見たこと、感じたことがわかるような気がしてくるのです。

このようなアーティストが暮らした家をミュゼにしているところがパリにはいくつかありますので、これから少しずつご紹介して行きますね。
それではまた来週。

今回の書斎と食堂の写真はMuséeの公式サイトからお借りしました。


ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau
住所:14, rue de la Rochefoucaud
電話:0148 74 38 50
メトロ:12番線 Trinite または st-George
開館時間:10:00-12:45 昼休みをはさんで 14:00-17:15
休館日:火曜日
入場料:5euros (割引は3euros、18才以下と第一日曜日は無料)
美術館公式サイト
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by paris_musee | 2010-01-04 00:00 | 邸宅ミュゼ
モローの細密テクニック ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau

先週、具体的に作品をご覧になって、モローの特徴が少しおわかりになったかと思います。
神話の中の「死」や「残酷」なシーンを連想させるエピソードを非現実的な空間に描く、というのが共通していました。
実は、ギュスターヴ・モロー美術館では、もうひとつのモローの特徴である「細密表現」が間近でたくさん観られます。
他の美術館にある作品は完成品ばかりですが、こちらは画家の住居兼アトリエだったので未完と思われる作品が多く、どんな風にモローが描き進めていたかがよくわかるのです。
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人物の肌の上にとっても細かく模様が描かれています
こちらをご覧ください。
作品の一部をクローズアップしたものですが、色を塗っている部分、塗っていない部分、ところどころにびっしりと細かい模様が描き込まれているんです。
いろんな画家の作品を観てきましたが、こんな風に細部に過剰なまでの装飾を描いている作品は彼以外思い当たりません。
絵画の画面に白や黒の細い筆でアラビア紋様が浮かび上がり、暗い空間にも幾何学装飾模様がちりばめられてオリエンタルで幻想的な雰囲気を醸し出しています。
未完の作品と思われますので、このあとこの入れ墨のような細密画がくっきりと残るのか、それともうっすらと浮き上がる程度なのか、はたまた完全に消されてしまうのか、とても興味深いところです。

さて、ここで『サロメ』シリーズについてお話ししたいと思います。
「世紀末芸術」の芸術家が好んだ神話が聖書の「サロメ」です。
オスカー・ワイルドが書いた小説『サロメ』の挿絵はすでにご紹介しましたね。
ヘロデ王の祝宴での踊りの褒美として「欲しい物は何か?」と聞かれ、サロメは「洗礼者ヨハネの首が欲しい」と答え、実際にヨハネの首を手にするという残酷なお話。
これはずーっと昔から絵画のモチーフとして好まれましたが、とくに19世紀末に大ブレイク、モローもこのテーマをいろんな角度からたくさん描いています。
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『オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘』という作品はオルセー美術館に所蔵されています。
血の気の失せた美しいヨハネの首を、うっとりとした表情でみつめるサロメ。
耽美的な色気が漂った作品です。
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『出現』ルーヴル美術館で見ることができます。
サロメが斬首させたヨハネの首が光を放ちながら空中に浮いているという、彼のオリジナルの解釈です。
こちらは細密表現が画面にちりばめられていて、ヨハネの首を指差すサロメという異様な光景をさらに幻想的なイメージへと飛躍させています。
サロメが身にまとうオリエンタルな衣装が細かく描かれていて、女性の柔らかい肌とキラキラと輝く豪華な固い金属や貴石の対比がわかりますね。

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そしてこの『出現』の習作と思われる作品が2点モロー美術館に収蔵されています。
最初の作品はサロメの肌には割と雑に絵の具を乗せただけで、背景のアラベスク模様が白く丹念に描かれています。
これはこれでまるで書き割りのような線で描いた2次元の世界を背景に、生身の人間がこのシーンを演じているような、演劇のような雰囲気が感じられないでしょうか。
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もうひとつの作品は『タトゥーのサロメ』なんて呼ばれているように、サロメの肌に精密な黒の線で模様が描き込まれているものです。
ルーヴルバージョンと比べてサロメの目を閉じた表情がとても官能的です。こちらはサロメの血の滴る首はありませんね。

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ちょうど彼が生きていた頃にはパリ万国博覧会という世界中の珍しい物を集めた大きなイベントがあったので、インドや東南アジア、アラブ諸国の建築物や彫刻、衣装や宝飾品などを間近で観る機会があったんじゃないかなあと思います。
そんなオリエント趣味の細密表現がモローのアトリエにはたくさんあります。
華美な装飾を施した東南アジアの古代遺跡のような建物だったり、象だったり、ベリーダンスの衣装のような豪奢な装飾だったり。
大きなカンバスに描かれているのに、画面の至る所に小さな小さな線描があるんです。
遠くから観ても近くから観ても2度楽しい、それがモローの作品だと思います。
モローの作品をご覧になることがあったら、是非「細密描写」を探してくださいね。

次回は、モロー美術館の住居部分のご説明をしたいと思います。

このブログも早いもので2年目を迎えることができました。
パリの面白いミュゼはまだまだたくさんあるので、2010年も変わらず皆様にミュゼの楽しさをお伝えできればと思っております。
来年もどうぞよろしくお願い致します。


今回の画像はクローズアップのものを除き、wikipediaからお借りしました。


ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau
住所:14, rue de la Rochefoucaud
電話:0148 74 38 50
メトロ:12番線 Trinite または st-George
開館時間:10:00-12:45 昼休みをはさんで 14:00-17:15
休館日:火曜日
入場料:5euros (割引は3euros、18才以下と第一日曜日は無料)
美術館公式サイト
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by paris_musee | 2009-12-28 00:00 | 邸宅ミュゼ
象徴主義の先駆者、モロー ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau

先週はモローのおいたちをざざーっと述べておいて、意味不明なことばで乱暴にまとめてしまいました。

特に最後のこの文章、

でもアカデミーという権威と深く関わったモローだからこそ、世紀末に向かう不安な時代精神を感じつつ、神話や聖書を扱う歴史画のカテゴリーの中でのオリジナリティの模索というかたちで、モロー独自の「象徴主義」の萌芽ともとらえられるような作品が生み出されたのかもしれません。

太字のところをご説明したいと思います。

アカデミーでは、ギリシャ神話や聖書の物語を題材にした歴史画というジャンルが一番絵画として素晴らしいとみなしていました。
モローの作品の題材はほとんど神話や聖書からとられています。
なのでアカデミーの推奨するやり方に忠実なんですね。
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『ジュピターとセメレ』建築物や人物の細かな装飾がふんだんに描かれています。
でもこちらをご覧ください。
どちらかというと「世紀末芸術」と言うのにふさわしい、神秘的で暗くて退廃的な雰囲気が見られますよね。
アカデミーの歴史画にありがちな、威風堂々とした理知的で魂を奮い立たせるようなエネルギーはここから感じられません。

アカデミーのお手本通りの作品を作り続ければいいというような画家ばかりだったら、みーんな同じで芸術は停滞しつまらないものになってしまいます。
この時代は特に、お手本というものがあるけれど、そこから離れすぎず、いかに自分らしさ、オリジナリティーを出せるかというところで勝負しているのです。

あれだけアカデミーに関わったモローはやっぱり歴史画のお手本から出発しているけれど、時代の不安な空気も察知しつつ、自分らしい作品を作り続けて行ったのだと思います。
それがたまたま世紀末の時代精神とマッチして、のちに「象徴主義」ができたときに、ギュスターヴ・モローが先駆者だと言われたのではないでしょうか。

今のお話は私のひとつの見方でしかないのですが、とにかく、「**主義」というのは「主義」と名付けられるだけの実例があって初めて命名されるのだし、今の時点から過去にさかのぼるものですので、アカデミーにどっぷり浸かっていたモローが、アカデミーに反発して「象徴主義」をつくるぞー!と意識的にやったとは思えないのです。後から見た結果「象徴主義」の先駆者とみなされただけなのでしょう。

理屈っぽくなりましたが、それでは作品を観て行きましょう。
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『オイディプスとスフィンクス』彼が38歳のときのもの。ニューヨークのメトロポリタン美術館蔵だそうです。

こちらはナポレオン3世が買い上げたサロンで入選した作品です。怪物のスフィンクスが「朝は4足、昼は2足、夜は3足で歩む物は何か?」と未来の王になるオイディプスに謎掛けをする神話です。
確か答えは「人間」だったと思います。赤ちゃんがハイハイをし、その後は2足歩行、でも老人になると杖を使うので3本、という...。
ここに世紀末の雰囲気がどのように表れているかというと、謎が解けなかったらオイディプスは殺されてしまうという「死」に対する緊張感(実際答えられずに殺された人物の足が右下に見えます)。男性のオイディプスが妖艶な「エロス」を感じさせるところ。
背景がどんよりした「幻想的な空間」であるところ、でしょうか。

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『プロメテウス』こちらはモロー美術館で見ることができます。
43歳のときにサロンに出品したものの、酷評を受けてその後サロンにしばらく出品を拒否するきっかけとなった作品です。
土から人間を作ることができる巨人族のプロメテウスが火神から炎を盗んで人間に与えてしまったので主神の怒りを買い、鎖でつながれて肝臓を鷹に永遠についばまれるという神話です。
神話は神話でも残酷な話ですよね。
空の青さと対照的な険しい断崖絶壁に捕らえられて身動きできないプロメテウス。
彼はどこかをじっとみつめていますが、これから一生、こんな寂しい場所で邪悪な鷹に肝臓をついばまれていくしかないのです。
強い意志のあるまなざしやたくましい肉体がかえって、悲しい結末を予感させますね。

ちょっと長くなりましたので、来週もっと注目したいモローのオリジナリティについてお話しして行きたいと思います。

今回の画像はすべてWikipediaからお借りしました。


ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau
住所:14, rue de la Rochefoucaud
電話:0148 74 38 50
メトロ:12番線 Trinite または st-George
開館時間:10:00-12:45 昼休みをはさんで 14:00-17:15
休館日:火曜日
入場料:5euros (割引は3euros、18才以下と第一日曜日は無料)
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by paris_musee | 2009-12-21 00:00 | 邸宅ミュゼ
モローの華々しい一生 ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau

日本では印象派絵画が絶大な人気を誇っていますが、意外と世紀末芸術なんかも人気があるような気がします。
私が昔働いていたアートショップでは、クリムトの『接吻』のアイテムが売れていたし、アール・ヌーボー(こちらは美術工芸の「世紀末芸術」と言えます)のエミール・ガレの花器なんかは結構日本のコレクションが充実していたりします。

ギュスターヴ・モローの人気はどうなのでしょうか?
実はパリのモロー美術館でも、日本語の作品解説パネルがあったり、日本語バージョンのカタログなんかもあって、小さい美術館なのに日本人の観客が多いんだなと思いました。
ルーヴルにもオルセーにも作品があるので、名前は知らなくても作品をご覧になったことがある人は多いのかもしれません。

先週「象徴主義」は権威的なアカデミーへの反発としておきた、とご説明しました。
でもギュスターヴ・モローという人は「象徴主義」の先駆者と目されているので、アカデミーに反発するどころか、人生の大半をアカデミーとともに歩んでいます。
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ギュスターヴ・モロー若かりしときの自画像。モロー美術館に展示されています。
1826年。パリで建築家の父と母の間に生まれます。
8歳のときから絵を描きまくっていた絵画少年だったようです。
お姉さんが亡くなるとショックのあまり健康を害して名門の中学校を中退してしまいます。
15歳のときに初めてのイタリア旅行に出かけました。イタリアは当時芸術のメッカだったので、いろいろな刺激を受けたのでしょうね。
そしてパリに戻ると新古典主義の画家に師事し、ボザール(フランスの芸大)に入学します。
このボザールこそがアカデミーの総本山なんです。
23歳でローマ賞(優秀な芸術家をイタリアに留学させる制度)を逃してしまいボザールをやめるとルーヴル美術館で模写に励みます。当時のルーヴルにもアカデミーのお手本のような作品がたくさんありました。
25歳のときに、テオドール・シャッセリオーというサロンの常連の画家と出会いとても仲良くなり、ピガールにアトリエを借りて精力的に作品制作をします。

翌年ついにサロンに入選。そして現在の美術館の場所に両親が家を購入して家族で住みます。アトリエもこの家の最上階に構えました。
サロンに入選したことでやっと画家として認められたモロー。すでに画家として有名人だった親友シャッセリオーと一緒に社交界にも頻繁に顔をだしていたそうです。
しかし30歳のときにシャッセリオーが亡くなると、数ヶ月家に引きこもり、翌年からイタリアに旅立ちます。
ローマ、フィレンツェ、ミラノ、ヴェネツィア、ナポリで、アカデミーがお手本としていたミケランジェロやゲロネーゼ、ラファエッロなどの作品を模写しまくったそうです。
ちなみに、のちに「印象派」の画家として有名になるエドガー・ドガとイタリアで出会い、親交を深めます。
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写真が小さくて見にくいですが、こちらがギュスターヴ・モローが住んでいたアトリエ兼住居。4階建て。現在はモロー美術館となっています。
36歳のときに父が死去。
それでも精力的に作品を制作し、2年後にサロンで再び入選。作品はナポレオン3世の買い上げとなり、翌年には皇帝自らコンピエーニュのお城にモローを招待するという光栄にあずかります。
しかしその後サロンに出品した作品が酷評をうけると、しばらくサロンに出品するのをやめてしまいます。
40歳で再びサロンに出品、レジオンドヌール勲章をもらい、1878年のパリ万博にも作品を出展しています。
57歳でまたもやレジオンドヌール勲章を授与されました。
画家としての成功を社会が認めた証拠ですよね。
58歳で最愛の母が亡くなります。
62歳のときにボザールアカデミーに入ることを許され、4年後に教授としてボザールで教鞭をとります。日曜日には生徒を家に呼んだりして、教育熱心な教授だったようです。ちなみにのちに活躍するルオーやマチスもそんな生徒のひとりでした。
1895年、結婚をしなかったモローは、自分の死後作品がバラバラになってしまうことを心配して自宅を大改造します。住居部分を大きなアトリエに改修して、作品をまとめたり選んだり、手を加えたりして晩年を過ごしたそうです。死後にモロー美術館として公開するために。
1898年、モローは72歳で亡くなりました。お葬式は近所のトリニテ教会、お墓はこれまた近所のモンマルトル墓地にあります。
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モローの自画像デッサン。モロー美術館には壁に特製のデッサン棚が作られていて、膨大な数のデッサンも観ることができます。
ざっと年代順に見てみましたが、「象徴主義」の画家と言われなければ、華々しくアカデミーとともに活躍した新古典主義の画家の一生と思うかもしれません。
ボザールを出てイタリア留学、サロンに入選、レジオンドヌール勲章を授与され、最後はボザールの教授としてアカデミーに返り咲きですものね。

でもアカデミーという権威と深く関わったモローだからこそ、世紀末に向かう不安な時代精神を感じつつ、神話や聖書を扱う歴史画のカテゴリーの中でのオリジナリティの模索というかたちで、モロー独自の「象徴主義」の萌芽ともとらえられるような作品が生み出されたのかもしれません。

ちょっとわかりにくい言い回しになりましたが、来週具体的な作品の解説とともにモローの立ち位置がこうだったんじゃないかなーという私の考えをお話ししてみたいと思います。

今回の画像はギュスターヴモロー美術館の公式サイト、およびWikipediaよりお借りしました。


ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau
住所:14, rue de la Rochefoucaud
電話:0148 74 38 50
メトロ:12番線 Trinite または st-George
開館時間:10:00-12:45 昼休みをはさんで 14:00-17:15
休館日:火曜日
入場料:5euros (割引は3euros、18才以下と第一日曜日は無料)
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by paris_musee | 2009-12-14 00:00 | 邸宅ミュゼ
世紀末芸術って? ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau

フランスは地震がないせいか(地方によっては地震はあるそうです)、古い建物が今でも使われていたりします。
日本では「**の生家跡」という標識はよくありますが、フランスは生家だったり住んでた家だったりがそのまま残っていることが多いのです。
今回はアーティストが過ごしたおうちミュゼの中から、ギュスターヴ・モロー美術館をご紹介します。

ギュスターヴ・モローってご存知ですか?
活躍したのは19世紀後半。
ルーヴル美術館とオルセー美術館の両方に収蔵品がありますから、先週ご紹介したカミーユ・コローと年代は同じくらいでしょうか。

美術史としては「象徴主義」の先駆者と見なされています。
これはまだお話ししていないと思うので今回はまず「象徴主義」についてご説明したいと思います。
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イギリス人作家のオスカー・ワイルドが19世紀末に発表した『サロメ』という小説の挿絵。オーブリー・ビアズリーという画家です。
18世紀後期、19世紀初期フランスには「新古典主義」「ロマン主義」という大きな流れがありましたが、アカデミーを中心としたものでした。
その保守的なアカデミーに反発するアーティストが目指した方向として、ひとつは日本では大人気の「印象主義」(モネやゴッホが有名ですね)、もうひとつは「象徴主義」というスタイルがうまれます。
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現代のチェコ生まれ、フランスの世紀末に美術工芸のスタイル、アールヌーボーの作家として活躍したアルフォンス・ミュシャ。
ちょうどお隣のイギリスで「ラファエル前派」というスタイルがいち早く確立されていました。
これは、それまですばらしいとされてきた作品がイタリアルネサンスの巨匠であるラファエッロ的なものだったのですが、それ以前の中世の宗教的絵画や文学なんかをお手本にしよう!という運動です。
ラファエッロの特徴ががキッチリカチカチの「理性」「現実」だとすると、その反対の儚い「感性」「精神」「夢」なんかがもてはやされるのです。

21世紀になる前の1999年、まことしやかにノストラダムスの大予言が的中して地球が滅びるとか、コンピューターが制御不能になるとか、不安になるような噂がたちましたよね。
20世紀になる前の世紀末もまた、ロンドンでは切り裂きジャック事件が世の中を震撼させたりと社会不安がひろがり、ちょっとオドロオドロしいような世界観、儚い夢の世界、退廃的で神秘的なものなんかが文学でも美術でも市民権を得るのです。
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この作品はご覧になった方が多いと思います。ウィーン世紀末芸術を代表するがかクリムトの『接吻』
こういった世紀末の不安を背景にして、ヨーロッパ中で「世紀末芸術」と総称できる(各国各グループでで呼び名は異なりますが)運動が起こったんですね。
大雑把に言ってしまえば、エミール・ガレもミュシャもクリムトもギュスターヴ・モローもウィリアム・モリスもロートレックもムンクもアントニオ・ガウディも「世紀末芸術」のアーティストに分類できます。

そんな「世紀末芸術」が描いたものは現実のリアルな世界というよりは、現実にはありえないようなちょっと暗い世界です。
「死」「夢」「神話(とりわけ悲劇的なシーン)」「幻想的な物語」「退廃」「絶望」「モンスター」「エロス」「アンニュイ」なんかがよく画面に表れます。
綺麗な原色よりはちょっとくすんだ暗い色が画面を支配します。
個人的には、見ていて元気がでるような明るい作品ではなく、ちょっと「どうしたのかな?」なんて心配になるような作品だと思います。

なんとなくわかっていただけたでしょうか?
そんな世紀末芸術、フランスでは特に「象徴主義」と言われる運動の先駆者と見なされているのがギュスターヴ・モローという画家です。
来週はモローの人生をクローズアップしてご紹介して行きたいと思います。

今回の画像はすべてwikipediaよりお借りしました。


ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau
住所:14, rue de la Rochefoucaud
電話:0148 74 38 50
メトロ:12番線 Trinite または st-George
開館時間:10:00-12:45 昼休みをはさんで 14:00-17:15
休館日:火曜日
入場料:5euros (割引は3euros、18才以下と第一日曜日は無料)
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by paris_musee | 2009-12-07 00:00 | 邸宅ミュゼ
ロマンチックな美術館 musée de la Vie romantique

先々週、ルーヴル美術館の新古典主義、ダヴィッドの大作をご紹介すると書きましたが、ここのところ少し忙しくて取材する時間がなかなかとれません。
今回は予定を変更して、パリの小さな美術館をご紹介します。

パリの9区、最寄り駅で言うと2番線のPigalleとBlancheと12番線のSt-Georgeの間にひっそりとたたずむこの美術館。
旅行者にはモンマルトルのサクレクール寺院がおなじみですが、もし時間があればモンマルトルの丘を上がるのではなく下ったところにある、このロマン派美術館にも是非寄ってほしい穴場スポットです。
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Chaptal通りの16番地。
美術館は木々に囲まれた緑の小道を進んだ奥まったところにあります。
まさに「隠れ家」と呼ぶのがふさわしい、静かでこじんまりとした場所なのです。
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この可愛らしい建物は、1830年に建築されました。
オランダ生まれのアリィ・シェフェール(Ary Scheffer)という19世紀前半を生きたロマン派の画家が住んでいた邸宅がそのまま美術館になっているんです。

サロン文化が大流行りの19世紀に、シェフェールもまた自宅にインテリの友達を招き入れて文学や絵画、音楽談義をしたといいます。
そのお友達は、ロマン主義絵画の第一人者ドラクロワ(こちらはまたルーヴル編でご説明しますね)、叙情たっぷりのピアノ曲が今でも有名なショパン、彼の恋人でもあった女流作家ジョルジュ・サンド、イタリアの作曲家でオペラノ楽曲を多く作ったロッシーニ、ハンガリー生まれでピアニストとしても活躍したリスト、ロシア出身の小説家ツルゲーネフ、イギリス出身の小説家ディケンスなどなど。
インターナショナルでなんとも豪華な顔ぶれですよね!

彼らが集まっていた場所は離れのサロン兼アトリエ。そして対になってるもうひとつのアトリエはアリィの兄弟のアトリエとなっていました。
現在では年に2回、この離れのアトリエで企画展(有料)が行われています。

さて、常設展をやっているかわいらしいおうちに一歩足を踏み入れるとそこは控えの間。
その次のお部屋にはジョルジュサンドが使った小物やアクセサリーなどの遺品やポートレートなどが展示されています。カーテンがぐるりと囲んでるのかと思ってよくみて見ると実は壁紙。
とってもキュートな空間です。
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その次のお部屋は当時のインテリアを再現した豪華なお部屋となっています。
19世紀に流行った18世紀リバイバルの新古典主義調の家具が鎮座しています。
正面の暖炉の上に掲げられているのがジョルジュ・サンドの肖像画。
雰囲気のある素敵な女性で、数々の知識人と浮き名を流した人物。
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次のブルーのお部屋にはジョルジュ・サンドが描いた風景が展示されています。

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チェックの壁紙のお部屋にかかっているのはアリィの娘といとこの肖像画
小さな螺旋階段をあがるとまたお部屋があります。
2階は主にこの邸宅の主人であったシェファーの作品が飾られています。
アリィが描いた家族や親交のあった人々の肖像、他の画家が描いたアリィの肖像画などが展示されています。
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親交のあったプリンセス・ジョワンヴィルの肖像画
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シルクのドレスのしわや光沢、レースの繊細さなんかには脱帽です
彼はロマン主義の画家ですが、ロマン主義の激情的なスタイル(これもいづれお話ししますね)というより落ち着いた筆致で、人物の性格までも描き表すような精密な肖像画が多いです。
さすがはオルレアン公の子供たち(ひとりはのちのルイ・フィリップ王)に絵を教えていただけのことはありますね。
2階のお部屋もチェックの壁紙などがとてもおしゃれ。

本当に小さな小さな邸宅で、たった8部屋の展示室。
あっという間に美術鑑賞が終わってしまうのは残念でもありますが、時間に制限のあるパリ観光の中ではいいかもしれませんね。
いわゆる普通のフランス人の一軒家に近い間取りで、友達の家にお邪魔したような親密な空間が味わえます。
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のんびりできるカフェからの眺め
そして、そんな余韻に浸るなら絶対に併設のカフェでお茶をしましょう!
温室を改装したカフェは手作りのタルトやケーク・サレ(しょっぱいパウンドケーキ)などの軽食もありますよ。


Musée de la Vie Romantique
Hôtel Scheffer-Renan
16 rue Chaptal
75009 Paris
tel: 01 55 31 95 67
Metro: Saint-Georges, Blanches, Pigalle
開館時間 10:00~18:00
閉館日 月曜日、祝日
カフェ 4月の終わりから10月の中旬まで営業、11:30-17:30まで

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by paris_musee | 2009-09-21 00:00 | 邸宅ミュゼ
マリー・アントワネットを訪ねて フランス革命 パート2 ーカルナヴァレ美術館ー Musée Carnavalet

先週はルイ16世一家が現在のチュイルリー公園にあった宮殿に幽閉されたところまでお話ししました。
王家のいなくなったヴェルサイユ宮殿からは、略奪を逃れた家具や彼らのものが新居に持ち込まれたので、
手狭になったとはいえ、まだまだ王族らしい生活は保たれていたのです。
そのときの革命の指導者たちも、王様はそのまま君主としていてもらうけれど、王権は憲法と議会によって制限されるという立憲君主制を目指していたのです。今のイギリスみたいな感じでしょうか。

でも王家と議会の間にいて、王に有利になるよう便宜を図ってくれていた人物ミラボーが死ぬと、
革命がもっと過激になっていくんじゃないかと危惧した国王は、
マリー・アントワネットの愛人とも言われていたスウェーデンの貴族フェルセンの「国外逃亡」のプランを実行するのです。
フェルセンは『ベルばら』でも主人公のひとりとしてクローズアップされているので、ご存知の方も多いかと思います。

小説でこの辺のくだりを読んでいると、ハラハラドキドキしてしまうのですが、結局この逃亡計画は失敗に終わります。
敗因はいろいろあるでしょうが、国王一家のプライドが邪魔してこの旅行が豪華で目立ってしまったのが原因のひとつです。
ワインに食事に衣装に馬車、どれもが不自由ないようにと配慮されて大荷物になってしまったんですね。
移動に時間がかかり、待ち合わせ場所に遅れるものだから、味方の軍や馬も待ちくだびれて帰ってしまう。
変装していたものの、あと少しの国境近くで国王一家だとバレて、非難轟々、罵倒され侮辱されながらパリに引き戻されるのです。

この国王の裏切りに擁護派の支持も失うと、外国が国王一家を救うためフランス国民軍と戦争を開始します。
フランス国民軍は負け続けます。
マリー・アントワネットがフランス軍の作戦を外国軍に漏らしていたからに違いないと疑われてしまいます。
そして国王一家はタンプル塔に移送されてしまいました。
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タンプル塔の絵。暗くて寂しい感じがしますが、もともとは貴族の邸宅でした
このタンプル塔、現在は3区の区役所とスクエア・タンプルという小さな公園になっている場所にありました。
カルナヴァレ美術館からも歩いていける距離。
おしゃれなブティックがある今一番若者に人気の場所を通るので、お散歩も楽しいです。

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タンプル塔の再現部屋。質素な家具に加えて照明もくらーくしてあるので、本当に寂しい感じがします
この塔の中がどんな感じだったのかは、カルナヴァレ美術館の一角に部屋の様子が再現されています。
普通の人の目にも質素と映る、小さくシンプルな装飾のベットや棚に囲まれて、家族でビリアードやゲームをして過ごしたといいます。
革命はどんどん激化していき、彼らの待遇も日に日に悪くなっていきます。

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家族と引き離された1ヶ月におよぶルイ16世の裁判が終わり、翌朝死刑となります。最後に家族と会うことが許され、ルイ16世は息子に「私を死刑にした人を恨んではいけない」と声をかけます
この展示室には、革命裁判にかけられてルイ16世との最後の別れのシーン、息子を引き離されて号泣するマリー・アントワネット、夫が死んで喪服を着ているマリー・アントワネット、断頭台に上るルイ16世などの絵画が展示してあります。
マリー・アントワネットの髪の毛が入ったアクセサリーなんかもあります。
1793年の1月に、現在のコンコルド広場でルイ16世はギロチンにかけられます。

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ルイ16世の死後、マリー・アントワネットは寡婦として質素な喪服をつくってもらいます。37歳のマリー。疲れはて過去の優美さはなくなってしまいました。でも裁判、死刑執行の日まで元王妃としての落ち着きと品位は失いませんでした
その後、マリー・アントワネットも裁判にかけられるため、シテ島にあるコンシェルジュリーという当時の牢獄に入れられ、人生で一番惨めな環境の中でも威厳を保ちながら毎日を過ごし、10月に夫と同じ場所で処刑されました。

革命はその後も終わらず、主導者が出ては旧体制のリーダーがギロチンにかけられることを繰り返して、ナポレオン・ボナパルトの台頭によってようやくフランスは平穏な日を迎えました。

ちなみにルイ16世とマリー・アントワネットの遺体は処刑当時は他の処刑者と一緒にされていましたが、現在ではパリ北郊外にあるサンドニの大聖堂の地下にきちんと葬られています。

いかがでしたか?
急ぎ足のフランス革命になってしまいましたが、実際の革命もあれよあれよと言う間に体制が変化して、その荒波にもまれて王と王妃は処刑されてしまったのです。
残った幼いルイ17世はタンプル宮で死んでいるのを発見されるのですが、「死んだのはニセもので、ルイ17世は逃亡してた」という噂が後を絶たず、自称ルイ17世がたくさん名乗り出たそうです。
でも最近DNA鑑定でタンプル宮で亡くなったのが本物のルイ17世という結論になり、歴史マニアをワクワクさせたミステリーに終止符がうたれました。

ちなみに明日、7月14日はフランス国家祭典である「革命記念日」です。
王権を打倒して、現代に続く市民社会を築くことになったフランス革命を記念したお祭りです。
革命の舞台シャンゼリゼ通りとコンコルド広場にかけて行われるフランスが誇る陸、海、空の軍隊パレードが朝からテレビ中継され、
夜にはエッフェル塔のそばで華やかな花火大会があります。
ちょっと歴史を知っていると、こんなお祭りも少し複雑な思いがしてくるから不思議です。
それではまた!

カルナヴァレ美術館Hôtel Carnavalet 

23, rue de Sévigné
75003 Paris
電話 : 01 44 59 58 58
Fax : 01 44 59 58 11
メトロ Saint-Paul(1番線) Chemin vert(8番線)
開館時間 10時から18時(レジは17時半で閉まります)
休館日 月曜日、祝日
入場料 常設展示 無料 /企画展示 4.5ユーロ(18歳以上26歳未満は3.8ユーロ)

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by paris_musee | 2009-07-13 00:00 | 邸宅ミュゼ
マリー・アントワネットを訪ねて フランス革命 パート1 ーカルナヴァレ美術館ー Musée Carnavalet

また悲劇の王妃のお話に戻ります。
マリー・アントワネットを語るとき、
彼女の人生の後半をさけて通ることができません。
自由奔放と浪費の代償とも、
革命の嵐に飲み込まれた犠牲者ともとらえることができますが、
あまりにドラマティックで壮絶な最期を迎えた彼女の人生は、
他の歴史にも例がないほど残酷でした。

そんな悲劇のヒロインの顛末を知るには、
前にもご紹介したマレに位置するカルナヴァレ美術館がオススメ。
以前「貴族のおうち」ということでご紹介したミュゼです。
パリの歴史博物館ともいうべきこのミュゼの2階(日本式の3階)は、
フランス革命に関する資料がたくさん展示してあります。
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フランス革命の始まりとされる7月14日のバスティーユ牢獄襲撃の絵

フランス革命史は研究が進んでいるのでどこまでも細かく説明できてしまう分野だと思いますが、
(もちろん私は専門家ではないので、詳しく説明することができませんが)
できるかぎりサラっとわかりやすく展示品を交えてご紹介できればと思います。

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フランス革命の展示室。この石膏像は、王権に有利なように憲法を作ると国王に密約していたミラボーさん。借金が多くて女遊びがひどかったんですが、国王一家はこの人にたよらざるを得ない状態でした

マリー・アントワネットや王侯貴族が退屈な毎日をハデに遊んでヒマつぶししているとき、
天候不良による凶作とたびかさなる増税が相まって、
農民たちは日々の糧であるパンすらも食べられない生活を余儀なくされていました。
ヴェルサイユの乱痴気騒ぎは風刺新聞などにより誇張されて人々の知るところとなっていたので、
貧困への怒りの矛先は、当然ヴェルサイユにむけられるのです。

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ダヴィットによる絵画。中央で本(宣誓文)を読んでるのが後にパリ市長になるバイイさん
政治的には、300年ほど開かれなかった平民身分の代表も含む議会の招集が決定するのですが、
貴族や僧侶身分のみ集まって、平民を閉め出してしまいます。
そこでヴェルサイユ宮殿の敷地内にある「ジュー・ドゥ・ポウム」(球戯場)に集まって
「平民の権利が認められるまで一致団結するぞー!」と宣言をするのです。
これが世界史の教科書でもおなじみの『テニスコートの誓い』です。
よく貸し出してしまっているのですが、カルナヴァレ美術館の所有で運がよければ見ることができます。

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この展示室には襲撃に使われた武器やバスティーユ牢獄のマスターキーなども展示されています
そして7月14日のバスティーユ牢獄の襲撃。
この爆撃されたバスティーユ牢獄の破片で作られたミニバスティーユ牢獄が展示されています。
今では雑貨屋やセレクトショップ、おしゃれなカフェやレストランが立ち並ぶ若者の街になっているバスティーユですが、
ここにあった牢獄を平民たちが襲撃したことで、フランス革命がフランス全国に飛び火します。
ちなみに現在、毎年7月14日はフランスのお祭りの日となっています。
パリ祭と日本では呼ばれていますが、昼は軍事パレード、夜はエッフェル塔の大花火大会と賑やかな一日となり、
この日を境にパリジャンは長い夏のヴァカンスムード一色となるんです。

ソフィア・コッポラの映画『マリー・アントワネット』はこの場面で終わるのですが、
農民、主に家計を預かる女性がパリからヴェルサイユ宮殿まで抗議の行進をします。
「私たちと一緒に逃げてください」という臣下の声を振り切って、
ルイ16世一家はヴェルサイユ宮殿に残ってしまうのです。
怒り狂った農民たちは、ホンモノのマリー・アントワネットの美しさにしばし戦意を喪失しますが、
翌朝、宮殿を守る近衛兵を殺して宮殿に乗り込みます。
そして王様一家は長年住み慣れたヴェルサイユ宮殿を離れ、農民たちにパリへ引き渡されてしまうのです。
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これは「人権宣言」。最初ルイ16世はこの採択を拒否するんですが、革命が進むにつれて承認しなくてはならなくなりました

ヴェルサイユ宮殿の次に彼らの家となったのが、今のチュイルリー公園内にあったチュイルリー宮殿。
(ルーヴル美術館の建物ではなくて、のちに壊されました)
荒れ果てたこの宮殿を急遽リフォームして、なんとか王家の居室となりました。
この時点では庭を散歩したり、人を招いたり、郊外の離宮へ外出したりと、
かなりの自由が認められていたそうです。
それでも絶対王政は崩れ、国民議会の監視下に置かれていたので事実上の幽閉でした。

1789年に次々とこのような事件が起きて、ルイ16世とマリー・アントワネットの生活はガラリと変わります。
その後少しだけ革命は小康状態になるんですが、ご存知の通りまだまだ彼らには試練が待ち受けているんですよね。
では続きは来週また!


カルナヴァレ美術館Hôtel Carnavalet 

23, rue de Sévigné
75003 Paris
電話 : 01 44 59 58 58
Fax : 01 44 59 58 11
メトロ Saint-Paul(1番線) Chemin vert(8番線)
開館時間 10時から18時(レジは17時半で閉まります)
休館日 月曜日、祝日
入場料 常設展示 無料 /企画展示 4.5ユーロ(18歳以上26歳未満は3.8ユーロ)



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by paris_musee | 2009-07-06 00:00 | 邸宅ミュゼ
フランス貴族の暮らし ニッシム・ド・カモンド美術館 Musée Nissim de Camondo

私の知り合いにひとり貴族がいるのですが、なかなか面と向かって「どんな暮らしをしてるの?」なんて聞けないもの。
いろいろな話をつなぎ合わせると、彼は労働をしたことがなく、一家所有の不動産を管理させて暮らしているようです。
仕事と言えば、貧しい国へ慰問旅行。年に数ヶ月はパリを離れているのだそうです。
貴族らしからぬラフな格好をしているし、たまーに会うくらいなのでプライベートなことは話さないし、貴族の暮らしは謎に包まれたまま。
労働するのは一家の恥と考えられているらしく、かといって一家の財産にかかる税金が大変なので、貴族の暮らしぶりも楽じゃない、とテレビでやっていたのを見たことがあります。
やっぱり浮世離れした生活なのでしょうか?

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流しにはフルーツや本物(?)のフルーツの砂糖漬けの瓶が置かれ、生活ぶりが伺える演出をしています
でもニッシム・ド・カモンド美術館に行くと、戦前の貴族の暮らしぶりがちょっと想像できるかもしれません。
この美術館で絶対見ておきたいのが、台所とお風呂場。
台所は地階の奥にあって、ちょっと古めかしい大げさなキッチンになっています。
ピカピカに磨かれた銅製のフライパンやお鍋が壁にかけられています。
もちろん食事は食事担当の召使いの仕事。大きなオーブンや流し、デザートを作るためのお部屋もあります。
召使いが食事をするお部屋なんかもありました。
公開はされていませんが、冷蔵庫部屋や貯蔵庫なんかもあります。

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インテリア雑誌に出てきそうな感じ
お風呂場は2階(日本式の3階)の家族のプライベートルームにあります。
白にブルーの地中海風のタイルが美しい、意外とモダンなバスルームなんですね。
エナメル加工されたお風呂に足湯、ビデもついてて、キャビネットもシンプルで機能的。
さすがに台所とお風呂場は機能優先で18世紀様式ではないですね。

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奥に見える女性の肖像画を描いたのは、マリー・アントワネットが重用した女性肖像画家によるもの
この邸宅は1階(日本式2階)が、大サロンや食堂などお客様を招待するときに使う部屋がある階になっています。
どのお部屋も階段広場(ギャラリー)を望むことができる開放感ある設計です。
玄関でお迎えしたお客様をそのまま階段(これもプチトリアノンにある階段にそっくり)で上に上がっていただいて、
素敵な絵画や家具やオブジェがたくさんあるサロンで談笑してたのでしょうね。
どの部屋も豪華ではあるけれど、お客さんと親密な距離を保てそうな適度な大きさの部屋ばかりです。
そして彼らの自慢の18世紀の新古典主義スタイルのソファや机、椅子、棚などが所狭しと置かれています。
新古典主義のスタイルは、脚が細くまっすぐだったり、装飾がどこかギリシャローマの建築を思わせるようなものだったりします。
幾何学模様の寄木細工の家具もこの時代によく作られました。
色もオフホワイトやパステルブルーなんかが多いですね。

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写真には写ってませんが、薄いグリーンの壁に薄いピンクのカーテンの組み合わせがとってもかわいらしかったです
順路に沿っていくと最後にある薄いグリーンの大食堂に注目です。お客様とのディナーを楽しむお部屋。
お庭に向かっての開放感もさることながら、鏡もあって広々とした空間になっています。
そしてお料理を引き立たせるためか、装飾は他の部屋に比べてちょっと控えめ。
地階でつくられた食事は、食事用エレベーターで1階に運ばれ(食堂の横にこの「待機室」があります)、サービス係が最後の盛りつけなどをしてちょうどいいタイミングでテーブルに運ばれます。
19世紀の貴族の食事は、だいたい5つのサービスからなっていたそうです。
1)スープ、テリーヌ、シチュー 
2)ソースのかかった肉料理、魚料理
3)大きな塩味のデザート、中くらいの甘いデザート、ロースト、サラダ
4)温野菜、パイ
5)チーズのデザート、チーズ、煮込んだ果物、クリーム、アイスクリーム、ジャム、果物
これがサービスの中身です。デザートが多いですよね?
全部食べる人はいないけれど、どんな食いしんぼうも、偏食の人も満足できるように、毎回50から100種類の料理が用意されました。
隣のお皿のギャラリーにある、18世紀のbuffonという鳥をモチーフにした高級食器や銀器を使いながら、好きなものを好きなだけ食べたのだそうです。
中央には塩やスパイス、オイル、ヴィネガーなどと、花や陶器などの装飾がされていたようです。
賑やかだったでしょうね。一度はそんなお食事会に呼ばれてみたい!

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建物の真ん中に位置する図書室の窓からは、小さなフランス式庭園とその向こうにモンソー公園が見えて落ち着きます
邸宅の2階(日本式3階)は家族のプライベートルーム。サロンや寝室、書斎などがあります。
やはりどの部屋からもギャラリーが見えるようになっていて家族の交流がとりやすい構造になっています。
中央に図書室を設けて、お庭をみながら読書ができるようになってるのは素敵。
プライベートルームはどれも仰々しさがなくて、のんびりできそうです。
ちなみに、モイズ(父)とニッシム(息子)の部屋しかないのですが、これは奥さんと離婚し、娘が嫁いだあとの、モイズの晩年の家をそのまま美術館にしたからでしょう。
ニッシムが戦争で亡くなった後、この大きなお屋敷でひとり過ごさなければならなかった父モイズの晩年は、
きっと寂しいものだったでしょうね。

いかがでしたか?
貴族の暮らし、ちょっとは想像できたでしょうか?
プライベートルームは木目を生かした家具が多くて、おちついた部屋が多かったです。
対しておもてなし部屋の方は、金色で縁取られ、花や植物模様の派手な家具やボワズリーが多く、とてもきらびやかでした。
プライベートのなかった王室とは違って、オンとオフをきっちり分けることができてたんだと思います。
ものすごいお金持ちなのは確かですが、生活は私たちとそんなにはかけ離れてなかったのかもしれません。


Musée Nissim de Camondo公式サイト (英語)

63 rue de Monceau 75008
メトロ 2番線 MonceauまたはVillier
閉館日 月曜日、火曜日
開館時間 10時から17時30分まで
入場料 6ユーロ(日本語のオーディオガイド込み)

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by paris_musee | 2009-06-29 00:00 | 邸宅ミュゼ
20世紀の18世紀風邸宅!? ニッシム・ド・カモンド美術館 Musée Nissim de Camondo

パリも晴れと雨を繰り返しながら、どんどん夏に近づいて来ています。
そんな晴天の昼下がり、お散歩がてら優雅な邸宅美術館に行ってきました。
この界隈は今も昔もお金持ちが住むところ。
この邸宅もド・カモンド家の持ち物で、趣味のいい豪華な家具で埋め尽くされた素敵なおうちです。
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モンソー通りに面した門をくぐると、その奥に邸宅があります 通りに面していないゆったりとした設計がいかにも貴族の邸宅らしい
ユダヤ人だったド・カモンド家は19世紀、オスマン帝国のコンスタンチノープルでもっとも成功した銀行家のひとつでした。
仕事でパリにちょくちょく訪れるので、当時お金持ちしか住めない高級住宅地、モンソー公園周辺にあるこの家を購入しました。
1911年息子のモイズがここを相続すると、第2帝政時代のきらびやかな様式を嫌い、建築家に頼んで新古典主義様式のシンプルな邸宅に改装します。
建物の外装がどこかに似ているなーと思ったんですが、彼がモデルとしたのはマリー・アントワネットの別宅、プチ・トリアノン。
内部の壁の装飾、集められた家具や装飾品などもマリー・アントワネットの趣味と同じ。
よく見ると、彼女が重用した家具職人や画家などの作品ばかりです。
20年以上をかけて、最高級の18世紀家具を収集したんだそう。
モイズは19世紀後半から20世紀前半を生きた人物ながら、18世紀の様式を好んだのでした。
18世紀の家具装飾品がこれほどまで集められて一般公開されているの美術館もなかなかありません。
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これは建物中央に位置し、小さなフランス式庭園とモンソー公園がのぞめるサロン。自然をモチーフにした7枚のhuetの絵を飾るために、このような円形の設計にしたとか
ちなみに、19世紀にお金持ちの間で18世紀の様式が大流行りします。
ナポレオン3世の王妃までマリー・アントワネットは趣味がいい!と賞賛するので、流行に拍車がかかりました。
みんなこぞって新古典主義様式の家具を買いあさり、市場ではどんどん高値がつきました。
が、にわか愛好家はすぐに飽きてしまい、みんなオークションで売り払ってしまいます。
本当に18世紀工芸美術が大好きだったモイズは、安くなったこれら家具を熱心に集めました。
流行にちょっと遅れて収集したので、いいものが安価にたくさん手に入れることができたようです。

このモイズさん、すばらしい居室に家族とともに住み、仕事は順風満帆、パリでの知名度も上り調子でした。
しかし、のちに奥さんが他の男性のもとに行ってしまい、さらには一人息子のニッシムまでも戦争で帰らぬ人となりました。
もうひとりの娘は嫁いでしまい、ド・カモンド家を継ぐ人はいませんでいした。
手塩にかけて育てたニッシムの死を悼み、邸宅にあるこれらすべての家具装飾品を「ニッシム・ド・カモンド美術館」として寄贈すると遺言状に残して1935年にモイズは亡くなりました。
そして翌年、1936年に遺言状通り、ニッシム・ド・カモンド美術館は彼らが暮らしていた当時の姿のまま美術館として一般公開されています。
残念ながら一人娘のベアトリスもご主人もその子供もアウシュビッツ収容所で亡くなり、ド・カモンド家の血筋は途絶えてしまいました。

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玄関を入ると大理石のダミエ模様の床が目を引く玄関ホールが これもプチ・トリアノンっぽい
この美術館の入場料は現在6ユーロ。
オーディオガイドを無料で貸し出してくれて、日本語で解説を聞くことができます。
収蔵品の豪華さやみどころの多さを考えると、とってもお得です。
とはいっても、よーく見学しても1時間半くらいで見終わるでしょうか。
ちょっと見学をして、帰りに「裏庭」であるモンソー公園の芝生で一休みするのもいいですよ。

それでは次回は、もうちょっと展示室の作品をご紹介していきたいと思います。
マリー・アントワネットの続きは再来週お送りします。

Musée Nissim de Camondo公式サイト (英語)

63 rue de Monceau 75008
メトロ 2番線 MonceauまたはVillier
閉館日 月曜日、火曜日
開館時間 10時から17時30分まで
入場料 6ユーロ(日本語のオーディオガイド込み)

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by paris_musee | 2009-06-22 00:00 | 邸宅ミュゼ