パリにあるとっておきミュゼをご案内します
by paris_musee
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カテゴリ:ミュゼ以外の歴史的建造物( 5 )
19世紀を総まとめ 1900年パリ万国博覧会 Exposition Universelle
パリでの北野武関連のお話を2週にわたってお送りしましたが、その前、ナンシーのアールヌーヴォー関連の記事を書きましたので、その続きをお話ししますね。
今回はアールヌーヴォーの時代まっただ中に行われたパリ万国博覧会です。

以前、エッフェル塔をご紹介したときにパリ万博のお話をしました。産業革命が終わり、イギリスやフランスらヨーロッパの列強がこぞって自国の工業製品の技術の高さをお披露目し、植民地や彼らのまだ知らない国の珍しいものを展示したのが万国博覧会です。1889年にパリで行われた国際博覧会のために、当時最先端の技術を駆使した鉄のエッフェル塔がつくられたのでした。

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こちらは1900年パリ万博の入場券です。

1889年のパリ万博も大盛況のうちに幕を閉じたのですが、次の1900年のパリ万博はそれをはるかに上回る入場者数を記録します。
この万博のために建てられたのが、今もシャンゼリゼ大通りとコンコルド広場の間あたりのセーヌ川近くにあるグラン・パレとプチ・パレ、アレクサンドル3世橋です。
1900年の4月15日に正式オープン、なんと11月12日まで212日間の開催。
会場は先の2つの会場をはじめアンバリッド、シャイヨー宮、シャンドマルスのエッフェル塔とシャンゼリゼ一帯と、ヴァンセンヌの森一帯でした。
5100万人の人出ということで、フランスが開催した万博では最大でした。当時のフランスの人口が4100万人でしたので、どれだけの人出か想像できるかと思います。
ベル・エポック(良き時代)と呼ばれる、景気もよく平和で浮かれた時代のイベントだったのです。
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パリ万博開催時のセーヌ川あたりの風景画
オープンには間に合いませんでしたが、パリ祭の7月14日に会場のヴァンセンヌの森とシャンドマルス一帯を結んでポルトマイヨへ行くメトロが初めて開通します。今の1番線ですね。
ホテルを備えた国鉄のオルセー駅(現在のオルセ=美術館です)もオープンし、多くの旅行者がフランス中からパリ万博を観にやってきました。
それから、「動く歩道」や電車も各会場を結ぶためにつくられたのだそうです。

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電気のおかげで夜間営業も大好評でした
このときのテーマは『19世紀総決算』というような感じで、最新の技術をもってつくられた工業製品、植民地のエキゾチックなもの、過去のフランス美術、現在の各国美術、装飾美術の展示がそれぞれの会場で観られたそうです。19世紀に発明されたテクノロジーが私たちの生活を便利に、豊かにしてくれているということを再確認するような展示内容のような気がします。例えば19世紀に発明された電気を大量に使った噴水のイルミネーションなんかもありましたし、電気のおかげで可能になった夜間営業もまた幻想的でパリ万博を訪れたすべての人々を圧倒したそうです。
リュミエール兄弟の音声付き映画も上映されたらしいですよ。スクリーンは巨大で、21メートルの16メートルだったそうです!コンコルド広場に建てられた巨大なモニュメントもそうですが、とにかく壮大な規模で行われたパリ万博だったのです。


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このイラストは45メートルの高さ、2つの尖塔をもつコンコルド広場に建てられた「入り口」だそうです。巨大!
1900年のパリ万博で一躍人気になったのが、アールヌーヴォー様式です。装飾美術の展示の中には、ルネ・ラリックの宝飾品や、エミール・ガレのガラス工芸(パリ万博大賞を2つ、金賞を1つとりました)、サミュエル・ビング(美術商でアールヌーヴォー名付けの親)の集めたアールヌーヴォー様式の家具などを展示した館などがありました。ガレをはじめとするナンシー派のアーティストは、いろいろな国の博覧会にアールヌーヴォー様式の作品を出品しまくっていましたので、アールヌーヴォー自体の知名度もあがり、大々的に宣伝することで流行になったのだと思います。
ちなみに開通したメトロの入り口はギマールによるアールヌーヴォーの装飾でしたし、オルセー駅の装飾にもアールヌーヴォーが使われていました。19世紀に実用化された鉄によって、建築物にも柔らかい曲線の装飾ができるようになったのですね。

いかがでしたか。オルセー美術館やエッフェル塔など、現在の観光名所の多くが、パリ万博のためにつくられたモニュメントだったんですね。次回はプチパレをご紹介したいと思います。


イラスト、写真はこちらからお借りしました。
パリ万博について当時の図版とともに詳しく紹介してあるサイト
パリ国立図書館の万博に関するサイト

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by paris_musee | 2010-04-05 00:00 | ミュゼ以外の歴史的建造物
<食べ物のお話>
今日はMuseeではなくて、食べ物のお話をしたいと思います。

先日、
le Bristolというホテルのレストランに行ってきました。
ロビーに着いたとたん、歴史の重厚さと内装の豪華さを感じさせる素敵なホテルです。

単なるクラシカルな雰囲気にとどまらず、その建物が昔から改修に改修を重ねて受け継がれて来た歴史を感じるのです。
楕円形の小さなレストランにはルイ14世様式の大きなテーブルが中央にあり、天井や木製の壁の装飾もルイ14世からルイ15世の様式の豪華かつ繊細なもので、シャンデリアもすばらしいけれどもどこか控えめな上品な空間でした。

星のついているレストランでしたので(3月発行のミシュランガイドで2つ星から3つ星に昇格したそうです!)、サービス係も完璧な上に仰々しいところのないフレンドリーさで、お料理はすべての感覚を刺激する楽しい発見のあるものでした。
でも、この室内装飾がさらに繊細なお料理のおいしさを引き上げていたのだと思います。

聞けば17世紀末から18世紀に建てられた貴族の城館の劇場部分がレストランになっているのだとか。
舞台は現在塞がれて楽屋とともに厨房に様変わりしており、そこには19世紀初頭のリルのゴブラン織りがさりげなく飾られていました。
もちろん装飾は当時のオリジナル。レプリカと違って時代を経たまろやかさがひびの入った壁の装飾に現れています。

本当に貴族の夕食会に招かれたような、そんな上品さと楽しさ、親密さが渾然一体となった雰囲気のレストランでした。
現代のパリで、18世紀にタイムスリップできるようなそんなレストランがあるのが嬉しかったです。
残念ながらお料理と雰囲気を味わうのに夢中で、写真は撮りませんでした。ホームページで雰囲気を楽しんでいただければと思います。

さて、18世紀の食事、それはどんなものだったのでしょうか。
ちょうどリヨンに在住の食の研究家の方に、ちょこっとお話をうかがう機会がありました。

庶民は雑穀のおかゆを食べていたのだそうです。
たまにお肉があればラッキー、そんなドロドロのおかゆにパンを浸して空腹を紛らわしていたと言います。

一方、貴族の食事は権力の誇示のひとつであり、とにかく大きく、派手なものが好まれました。
頭やしっぽも飾り付けに使って、大きなお魚やお肉をどーんと大皿に盛りつけていたのだそうです。
権力の誇示には珍しいことも重要で、白鳥やクジャク、狩りで射止めたイノシシなんかも食卓に上がりました。
でも味付けはシンプル。当時は塩、胡椒、砂糖は高級品だったので、調味料が必ず使われるとは限りません。
味気ない珍しい動物をたくさん食べる、これが当時の貴族の食事だったのですね。

現代の「アミューズブッシュ・前菜・魚料理・肉料理・チーズ・デザート」というフルコースは19世紀頃に定着したロシア式サービスで、当時はすべての食事が食卓にどっさりと乗っていたのだそうです。

つまり自分が欲しいものは自分か近くの人にとりわけてもらわないといけません。
ということは、招待客のランクが上の人から順に主人の近くに座るというきまりでしたので、机の端っこに座った人は真ん中の人のようにはいろいろな料理にありつけなかったのです。これも主人の権力の誇示というわけですね。

映画『マリー・アントワネット』ではルイ16世と王妃が食事している場面が出てきますが、なるほど大きくて派手な盛りつけのお料理を自分でとりわけて食べていました。

マリー・アントワネットと言えば、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」という有名な言葉がありますが(これは彼女の言葉ではないとも言われています)、お菓子という贅沢品が食べられるようになったのも18世紀のブルボン王朝でした。
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モントルグィユ通りは、このストレーを始め、たくさんのパン屋(ケーキ屋)さん、八百屋さん、魚屋さん、チーズ屋さん、ワイン屋さん、スーパー、カフェ、レストランがあってとても楽しい通りです。
当時食べられていたお菓子の代表に、ブリオッシュがあります。柔らかい甘みのあるパンで、今でも親しまれています。
パリのモントルグィユ通りには、ルイ15世の妃、マリー・レグザンスカがお輿入れした際に連れて来たポーランドの菓子職人ニコラ・ストレーが創業したケーキ屋さんが今でもあります。
1730年創業で、パリで一番古いお店です。
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このババはアルコールに弱い人は要注意!かなりラムがしみ込んで効きます!
ここに行ったら是非食べていただきたいのがババ・オ・ロム。
ポーランド王が娘のために持って来たブリオッシュがカチカチになってしまったのを、ニコラ・ストレーがラム酒に浸しておいしくよみがえらせたケーキです。18世紀の王妃をイメージしながら食べてみてください。
ちなみにイギリスのエリザベス女王も2004年にわざわざ立ち寄ったという、昔も今も王妃に愛されるケーキ屋さんです。

le Bristol
112,rue du Faubourg Saint-Honoré 75008 Paris
Tel : 01 53 43 43 40
営業時間 ランチ 12:30-14:00 ディナー 19:30-22:00
冬のレストランが劇場を改装した重厚でクラシカルなレストランで、
夏場(5月から9月)は気持ちのよいテラスがレストランになるそうです。


Stohrer
51 rue Montorgueil 75002 Paris 

メトロ : 4番線 Les Halles又は、Etienne Marcel
Tel : 01 42 33 38 20

営業時間 : 7:30~20:30
定休日 : 年中無休(ただし、8月1日~8月15日 夏季休暇)
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by paris_musee | 2009-03-16 00:00 | ミュゼ以外の歴史的建造物
<万博のために! エッフェル塔 la tour Eiffel>
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こちらシャンドマルス公園から見たエッフェル塔。この公園も広大で、この位置からエッフェル塔まではすごく離れています。夏は芝生でピクニックする人がたくさん!メリーゴーランドもロバもいます。

先週はオルセー美術館の建物がパリ万国博覧会のために作られた鉄道駅だったというお話をしました。
万国博覧会、略して万博。
日本でも大阪万博、つくば博、愛知万博と開催された、あの「万博」と一緒です。
いろんな国が開催地に一同に集まり、その時代のすぐれた技術、イチオシのテーマを各国パビリオンでひろく展示するというのが万博の目的でしょうか。
商品技術のオリンピックのようなものをイメージしていただければわかりやすいかと思います。

沢山の国が参加する国際的な博覧会は1851年のロンドン万博が世界初。
19世紀、20世紀には世界中で万博が大流行、パリでは9回も行われています。
万博は3ヶ月から半年も開催されている国をあげてのお祭りなので、会場となる建物はもちろん、目玉となる建造物を作ったりするんです。
大阪にある「太陽の塔」も1970年の大阪万博のために岡本太郎によって作られたモニュメントです。
今パリにあるシャイヨー宮(1937年)、パレ・ド・トーキョー(1937年)、グラン・パレ(1900年)、オルセー駅(1900年)、アレクサンドル3世橋(1900年)、エッフェル塔(1889年)などはパリ万博のときに作られた建造物なんですよ。
万博がなかったらパリはもっと質素だったでしょうね。

ちなみに日本は第2回パリ万博から江戸幕府として参加、展示品もさることながら、ちょんまげで羽織袴姿の使節団に西洋人はびっくり!
エキゾチックな出で立ちが話題になりました。
流行に敏感な印象派のアーティストたちはいち早くこの「オリエンタル」なイメージを作品に取り入れます。
そう、印象派の中でジャポニズムが流行ったのも、パリ万博と関係があったのです。
モネもゴッホもセザンヌも会場に来ていたのかもしれませんね。

第4回パリ万博で作られたモニュメントがエッフェル塔でした。
1889年に行われたこの万博は、展示面積も増やし、規模を大きくしようと気合いが入っています。
何故ならフランス革命から100周年の記念すべき年だったからです。
記念になるようなスゴイ建造物を建てようとコンペが開かれ、そこで選ばれたのがギュスターヴ・エッフェルのタワー。
エッフェルさんはNYにある自由の女神像の骨組みを作ったり、パリのリヨン駅やブタペストの駅を作ったりしていた技術者でした。
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セーヌ川をまたいだ向こう岸の丘、トロカデロ駅にあるシャイヨー宮からの眺め。

建設は2年2ヶ月と5日というスピードで行われました。こんな突貫工事でありながら、死者がでなかったこともすごいことでした。
幅が125m、1階までが57m、2階までが115m、3階までは250m、てっぺんまでの高さが312mの世界一の塔(1930年にNYのクライスラービルにその世界一の座は奪われてしまいました)が出来上がります。
まだ映画もメトロもライト兄弟の飛行機もなかった時代ですから、人々はびっくりしたに違いありません。
賛否両論、非難囂々のエッフェル塔は、エッフェルさん自ら1889年3月31日に国旗を掲げるセレモニーで幕をあけます。
オープニング当初から最新式のエレベーターが備えられ、階上からパリが一望できるというもので人気を博しました。
おかげでこの時の万博は3225万人と前回の2倍の人出になります。
万博後は入場者が激減し取り壊しの計画もあったのですが、タワーてっぺんにテレビとラジオのアンテナをつけたり、軍の通信に使うという役割を与えられ存続の危機を免れました。
エッフェルさんは一般客が入れない4階に科学者のための研究室兼事務所をつくり、彼らの研究や実験に大きく貢献したといわれています。
1960年代頃から万博当時の入場者数を上回る観光のメッカになり、今ではフランスといえばトリコロールにエッフェル塔というくらい世界的に有名なシンボルとなっています。

公式サイトに載っている「数字で見るエッフェル塔」をご紹介しましょう。
5分 エコを意識して時間が短縮しましたが1時間に5分だけキラキラと点滅します。遠くから見るとエッフェル塔が震えているみたいでかわいい!

5位 2004年の記録ですが、観光客がパリで訪れる人気スポットでは意外にも5位。ちなみに1位はノートルダム寺院、2位ディズニーランド(!?)、3位サクレクール寺院、4位ルーヴル美術館、6位ポンピドウセンター、7位ヴェルサイユ宮殿、8位ラ・ヴィレット、9位オルセー美術館、10位自然史博物館だそうです。2位のディズニーランドにはびっくりです。

324m 建築当初は312mでしたがアンテナが付け加えられ現在は324mあるそうです。東京タワーより低いのですね。

1665段 最上階までの階段の数です。

1991年 セーヌ川とエッフェル塔が世界遺産に登録されました。

250万本 使われている鋲の数。

300万ユーロ 7年に一度ペンキを塗り直していますが、その1回のペンキ代です。ペンキは3色で頂上に行くほどトーンが明るくなってます。

10100トン 総重量。鉄骨だけでも7300トン!
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アルマ・マルソー橋から見たエッフェル塔。この橋のたもとにセーヌ河を遊覧する船、バトー・ムーシュがあり、ディナーをしながらエッフェル塔を見上げるのも素敵です。

いつも混んでいて実はまだのぼったことのないエッフェル塔ですが、ふもとのシャンドマルス公園の芝生に寝そべって下から見上げるのが一番好きです。本当に大きくて、しばし時間を忘れてしまいますよ。
またシャイヨー宮のベストシューティングスポットから見下ろすのも素敵。
セーヌ川にかかる橋(特にアルマ・マルソー橋)からの眺めも夕暮れ時なんかロマンチックです。
時間とお金のある方はエッフェル塔の2階にある有名シェフ、アラン・デュカスがプロデュースする1つ星レストランJules Verneで、パリの景色を見下ろしながらお料理を食べてみてはいかがでしょうか。
ちなみにシャンドマルス公園近くのサン・ドミニク通り(rue St-Dominique)やその周辺にはおいしいケーキ屋さん、パン屋さん、チーズ屋さん、チョコレート屋さん、レストランなどがひしめいていますので、エッフェル塔まで行かれたらついでにお土産を買いに散歩するのも楽しいですよ。
とにかくパリに来たら絶対に足を運んでいただきたい、存在感のあるタワーです!

エッフェル塔
最寄り駅 メトロ6番線 Bir-Hakeim駅 6・9番線 Trocadero駅 8番線 Ecole Militaire駅
     RER C線 Champ de Mars-Tour Eiffel駅
入場料 エレベーター 1階まで4,80ユーロ 2階まで7,80ユーロ 3階まで12ユーロ
    階段 4ユーロ (25歳未満 3,10ユーロ)
営業時間 9:30から23:00まで (9:00から24:00まで 6月下旬から8月まで)
レストランのサイト
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by paris_musee | 2009-02-16 00:00 | ミュゼ以外の歴史的建造物
<フランス革命の火薬庫? パレ・ロワイヤル Palais Royal>
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今はすっかり葉っぱが落ちてしまいましたが、夏は青々と茂る剪定された木々と噴水と青空が気持ちよく、散歩や読書に最適のお庭です。

ルーヴル美術館に行く時に、メトロの1番線、7番線を使うとPalais Royal-Musée du Louvreという駅で下車します。
今日はルーヴルではなくて、パレロワイヤルのお話をしたいと思います。

Palaisはフランス語で宮殿、Royalは国王の、という意味です。つまりパレロワイヤルは王宮のことなのですね。
現在、憲法評議会と国務院、コメディ・フランセーズが入っていますが、もともとは王宮だったのです。

17世紀の中頃はルイ13世の宰相リシュリューという人の城館でした。
その後ルーヴル宮殿にいた幼いルイ14世が母と弟とここに引っ越したことからPalais Royalと呼ばれ始めます。
ルイ14世はご存知の通りヴェルサイユ宮殿に夢中になってパリを離れますが、彼の弟、オルレアン公フィリップがこの城館を引き継ぎます。
お庭は一般公開されていたそうですが、建物は貴族とお金持ちしか借りることはできませんでした。

18世紀末には、パレロワイヤルはパリで一番の繁華街になります。
劇場やブティック、書店、ギャラリー、カフェやレストランなどが並んでいたといいます。
男性はカフェで政治の議論をし、女性はウィンドーショッピングを楽しんでいたのでしょう。
デートなら観劇とレストラン、庭園散歩というお決まりのコースがあったかもしれませんね。

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ピカピカに磨き上げられた銀食器のブティックや1930年代のシャネルのドレスを売るヴィンテージショップなど、ウィンドーショッピングが楽しいアーケード。
ちなみにデパート(百貨店)の起源はパレロワイヤルにできたアーケードに立ち並ぶ洋品店だとも言われています。
最新のモード、最高の贅沢品がここを歩くだけで手に取るようにわかる、女性にとっては嬉しい場所ですよね。
それにきれいな庭園があればここを散歩しながらお友達と楽しい時間が過ごせたに違いありません。

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レストランやカフェもあります。
今では当たり前のように利用するレストランやカフェも、当時はとても新しいものでした。
それまでは誰かの家の厨房でお抱えシェフが作る料理を家人や招待客が食べていました。
ところが、レストランやカフェというのは、誰かの家に招待されたり、自分の家にいなくても好きな時に食事ができる画期的なものだったのです。しかも1皿の値段が明確で、お腹の具合によって食べたいものを食べたい量だけ注文できるのです。
こういったレストランを開いたシェフはたいがい王侯貴族のお抱えシェフ出身だったので、上流階級の食事が一般市民(ブルジョワ階級ですが)にも浸透することにもなりました。一般人にも美食家が増えていくのです。

またここは王族の所有物であるがゆえに警察が介入できず、高級娼婦や高利貸しなんかもウロウロしていて、怪しい飲み屋やカジノも繁盛しました。
毎日お祭り騒ぎのようににぎわっていて、食べたり飲んだり議論したり、騙したり騙されたり、ここに来ればとにかく刺激的でした。
奇しくもルイ16世に密かに反発していたオルレアン公の所有地であったため、国王一家を中傷するビラがたくさん出回り、若者が国王のない未来を夢見て熱く語ることのできた場所でした。
そして1789年、フランス革命が始まった年ですが、最初のデモ行進がパレロワイヤルにあったフォア(cafe du Foy)というカフェから出発するのです。
それがどんどん大きくなってついにバスティーユを襲撃しました。
あの有名な、パンを求めてヴェルサイユまで行進した女性たちのデモも、ここが出発点になっています。
パレロワイヤルなくしてフランス革命は語れないのです。

そんなこんなでフランス革命が終わり、パリの繁華街はもうちょっと北の方へと移動します。
その後は改修したり荒らされて略奪にあったり、ナポレオン1世の弟が住んだり、火災にあって大改修したり...。
20世紀に入ってからは、詩人のジャン・コクトー、女優のジャンヌ・モロー、小説家のコレットが住んだ時期もあったそうです。
そして、1985年文化相のジャック・ラングによって、南の中庭に現代美術家のダニエル・ビュランによる260本の黒白ストライプの大理石の円柱が屋外彫刻として展示されています。(残念ながら現在は修復中で見ることができません。)
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現在は赤い壁で工事現場を覆っていて、ところどころにはめてある色ガラスから工事の様子を見ることができるようになっています。これは黄色の小窓から見たところ。
いろいろな歴史がありましたが、現在はとてものどかな散歩&ショッピングコースになっています。
ダニエル・ビュランの彫刻の広場を抜けると、剪定された並木と噴水の庭園があり、その周りを建物が取り巻いています。
その1階にはいい状態のヴィンテージのドレスが揃うお店や、有名ブランド、アンティークを扱うお店、ギャラリー、カフェ、レストラン、コメディーフランセーズ(劇場)などが入っていて、実のところ昔も今も入ってるお店は同じなんですよね(カジノや娼婦宿はありませんけど)。
ウィンドーショッピングをする犬を連れた毛皮のマダムがいたり、噴水の前で本を読んでるムッシューがいたり、ここに来るとちょっとパリっぽいなーと思います。
観光客が多いルーヴル美術館の目と鼻の先にあるひっそりとした歴史的建造物、特に見るものがあるわけではないですが時間があったら行ってみてくださいね。


住所 Place du Palais Royal  75001 PARIS
メトロ 1番線 7番線 Palais-Royal- Musée du Louvre



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by paris_musee | 2009-01-26 00:00 | ミュゼ以外の歴史的建造物
<オペラ座で第2帝政時代を忍ぶ Opéra Garnier>
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オペラの駅から地上にでると大きなオペラ座が出迎えてくれます。

パリに行ったらオペラでも鑑賞したい!
そう思う方はいっぱいいらっしゃると思います。
こちらに住んでるくせに滅多にオペラには行かないのであまり有益な情報をお伝えすることができませんが、
今日はオペラ座の建物と歴史についてお話しようと思います。

ちなみにパリには現在オペラ座がふたつあります。お間違えのないように!
Bastille(バスティーユ)という駅にあるオペラ・バスティーユは、1982年にルーヴルリニューアル計画を遂行したミッテラン大統領によって計画され、1989年に落成したとっても新しい近代的な建築です。
現在は主にオペラを中心に上演されています。
今日お話しするのはパリ中心部のOpéra(オペラ)という駅にある古い建物で、建築家の名前をとってオペラ・ガルニエと呼ばれています。
こちらは主にバレエの上演が多くなっています。

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劇場内部は深紅と金色のゴージャスな雰囲気。ちょっとナポレオン3世の居室の雰囲気と似ていませんか。
先週、ルーヴル美術館のリシュリュウ翼にナポレオン3世の居室があるというお話をしました。
セーヌ県知事オスマンといっしょにパリを現在あるような魅力的な都市に変えた人物ですが、オペラ座を手がけたのも彼らなのです。
よって第2帝政時代の1860年、パリの都市計画の一環としてオペラ座の建設計画が持ち上がりました。
コンペで集められた建築案は一等賞に値するものがなく、佳作がいくつか決まったのみ。
その中からシャルル・ガルニエの案が採択されたのでした。

工事は不仏戦争や財政難で途中何度かストップし、完成まで15年もかかりました。
その間、1867年にパリ万国博覧会が開催され世界中からパリに人がやってくるというので、ナポレオン3世とウジェーヌ皇后がとりあえずのお披露目をします。
まだ全部はできあがっていませんでした。
そして奇しくも政権交代でナポレオン3世が退いた後、1875年にマクマホン共和国大統領によって完成の祝賀が行われました。
あまりにも年月がかかったからでしょうか、何らかの手違いでこの最終祝賀パーティーに、この建物の建築家であるシャルル・ガルニエは招待されなかったそうです。
かわいそうに自分でチケットを買って出席したとか。あまりにもお粗末ですね。

さて、建築様式は当時流行した豪華絢爛なルイ14世様式(バロック)のリバイバルである「ネオ・バロック」様式です。
当時最新の強くて軽い「鉄」を建築資材として使用したことによって、巨大な空間を確保することができ、2000人以上を収容する大きなオペラ座が可能になりました。
19世紀はエッフェル塔などもつくられ、巨大鉄建築が流行、鉄の時代なんて呼ばれたりします。
内部も色大理石や金メッキを多用してエレガントかつ豪華な内装になっています。
オペラ座のミニチュア断面図はオルセー美術館の一番奥の部屋に展示してありますので、オルセーに行かれた際にも是非チェックしてみてください。
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キラキラとした照明に照らされて大理石の階段を上れば19世紀の紳士淑女になった気分です
正面の入り口を入ると目の前に大きな階段が現れます。色大理石で作られ、30mの高さ。
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このお部屋にオペラ座の建築家シャルル・ガルニエ氏の彫像のコピーが置いてあります。
ここを上るとフォワイエと呼ばれる18mの高さでモザイク天井の広いロビーがあります。
パーティーやセレモニーに使われる、ヴェルサイユ宮殿にある鏡の間を小さくしたようなお部屋です。
鏡と窓が開放感をもたらし、ここからオペラ大通り、ルーヴルの方まで見渡せます。
劇場は奥行き長さともに30mちょっと。
20mの高さの天井は1964年にシャガールの『夢の花束』という幻想的な作品で覆われています。
8トンもある巨大なシャンデリアもゴージャスです。映画やミュージカルにもなっている『オペラ座の怪人』で落とされるのはこの大きなシャンデリアです。

オペラ座で公演を見たいという方はこちらのCalendrierをクリックして日程をチェックしましょう。
オンライン予約もできますし、直接窓口(入り口を入って右の奥)で購入することもできます。
窓口で購入するときは予算やちゃんと見える席なのかいろいろ要求を言ってみてください(英語で大丈夫です)。
第2帝政時代の雰囲気の残るきらびやかでゴージャスな内装と他の観客のおしゃれな服装(普通の服の人もたくさんいます)、深紅のベルベットのふかふかした座席やシャンデリアにオペラ歌手のすばらしい歌声とオーケストラで、夢心地な一夜になること請け合いです。

(今回の写真は正面写真以外公式サイトwikipedia.frの方から借用させていただきました。)

Opéra Garnier
住所 place de L'Opéra 75009
電話 01 44 73 13 99
公式サイト 
メトロOpéra (3,7,8番線)の出口を出ると、どこからでもこの巨大な建物が見えるのでわかると思います。

公演のチケットを持っていなくても公演がないときに内部を見学することができます。
毎日10時から17時まで。見学できるのは大階段、フォワイエ、劇場、展示スペース。
値段は8ユーロ。25歳未満は4ユーロ、10歳未満が無料です。
フランス語もしくは英語で歴史、建築などを1時間半にわたってガイドしてくれるツアーもあります。こちらは12ユーロ。
運が良ければ売店でオペラ座で作られている蜂蜜が購入できますよ。お土産に最適!



来週12月29日は更新を休ませていただきます。次回は来年2009年1月5日。
素敵なノエルと新年をお過ごしください。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
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by paris_musee | 2008-12-22 00:00 | ミュゼ以外の歴史的建造物