パリにあるとっておきミュゼをご案内します
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ニコラ・フーケの人生最高の時、人生最悪の時 Chateau Vaux le Vicomte ヴォー・ル・ヴィコント城

ニコラ・フーケをご存知ですか?
といって知っている方は、本当にフランス史をよくご存知の方です。
私も名前でさえ聞いたことがあったようななかったような、彼の人生に関してはまったくの無知でした。
歴史上には壮絶な人生を送った人物がいっぱいいますが、この人の人生も涙なくして語れないほどドラマチックです。

城内を順路に沿って進むと、後半にこのフーケの人生をクローズアップした展示があります。
なんとフーケやルイ14世などの人形がお部屋に配置されて、どんなドラマがあったのか解説してくれるのです。
フーケが使っていたお部屋は本物なのですが、人形によるシーンの再現や彼らのセリフを聞いていると、ここはディズニーランド?と思ってしまいます。
でもわかりやすく歴史の一コマを再現していて、子供も大人も楽しく学びながら城内を鑑賞できるいいアイディア。

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肖像画を見ると、かなりの男前。肖像画は脚色するのが当たり前ですが、それを差し引いても美男だと思いませんか?

ヴォー・ル・ヴィコント城の初代の城主はニコラ・フーケ。
ルイ14世時代に大蔵卿にまで上り詰めた人物です。
しかし、彼が建てたこのお城こそが、その後の人生を狂わせてしまうのです。
今回はそんなニコラ・フーケのお話をしてみたいと思います。
フーケはもともと高貴な家の息子でした。
13歳でパリ高等法院の弁護士となり、20歳で参事員請願委員、35歳でパリ高等法院の検事総長、38歳で大蔵卿となります。
肩書きがすごいですよね。
とにかく早いうちからエリートコースをまっしぐらだったようです。
当時、幼いルイ14世治下、マザランという人物が摂政として政治を掌握していました。
ニコラ・フーケはこのマザランに仕え、フロンドの乱という王権への反乱が起きたときもルイ14世とマザラン側に忠誠を誓い通しました。

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左がルイ14世、右が密告するコルベール。ニコラ・フーケの逮捕計画が秘密裏に進められて行きます。
そしてマザランの死後、彼はさらに権力を我がものにしようと野心を燃やすのです。
この頃には資産家の娘との結婚や、大蔵卿という地位によって私服を肥やしたりと、権力だけでなく財力も相当なものでした。
しかし、コルベールというマザランの後釜に就いた男に「フーケが公金を横領し王に対する陰謀を企てています」と告げ口され、ルイ14世も来るべき絶対王政に彼が邪魔だと思っていたので、ニコラ・フーケ失脚の陰謀が着々と進められて行くのです。

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本物は似ても似つかないほどに豪華だったと思いますが、これはお披露目パーティーのシーンです。ダンスをする人々の映像と手前の豪華なドレスに身を包んだ人たち、左側にマカロンタワーが置いてありました。
そんなこととはつゆ知らず、1661年8月17日、フーケは莫大な財産を費やして5年がかりでつくらせたヴォー・ル・ヴィコント城のお披露目パーティーを開催します。
豪華な装飾品、高価な絵画や彫刻、すばらしい内装を施した部屋の数々、広大で美しく整えられた庭園、どれをとっても贅をつくしたお城で、モリエールはバレエを上演し、当代きっての料理人は客人に最高級の食材でつくったおいしい料理をふるまいました。
このパーティーはフランスでも1、2を争う豪華さだったと言います。
フーケ失脚のシナリオを片手にしたルイ14世も賛辞を述べたほど。
そして王は同時に決断を下したのです。

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ルイ14世について出かけたナントで、アレクサンドル・デュマ著の『三銃士』で有名なダルタニャンたちに逮捕されるシーンです。
パーティーからわずか3週間後、フランスの権力と財力を掌握して人生最高の時を謳歌していたニコラ・フーケは、出先のナントで突然逮捕されます。
国外追放の判決がくだされるのですが、ルイ14世が不服とし、終身禁固刑を言い渡されます。
バスティーユの牢獄に3年投獄されたのち、彼はアルプスのピネローロ要塞で手記を書いたりしながら15年以上生き延び、1680年にそこで死去しました。

フランス史上に残る最も華麗なパーティーから逮捕されるまでの3週間しか、彼はヴォー・ル・ヴィコント城の城主として自由に過ごすことができませんでした。
逮捕後は2度と自分のお城に帰ることはできず、豪華な装飾品や絵画はルーヴル宮やヴェルサイユ宮殿に没収されてしまうのです。
お城がフーケ夫人のものとなったのも12年後だったといいます。

その後、フーケの息子が相続人なく他界し、ルイ14世のもとで公爵議員をしていたヴィラール元帥が買い取ります。
そして何代目かが破産すると、今度はルイ15世のもとで外務大臣をしていたショワズール公爵へ売却されました。
フランス革命の直前に城館をフランス国家に寄贈したため、革命の破壊からは逃れることができたようです。
しかしどんどんお城は荒れ果て、19世紀後半、砂糖の精製業で財をなしたソミエ氏が買い取る頃には大規模な修復工事が必要なほどの荒廃ぶりでした。
修復工事はソミエ氏の代では終わらず、現在の曾孫パトリス・ドゥ・ヴォグエ氏がその意思を継いでお城を守っています。
そう、このお城は観光客に公開されているのですが、個人所有なのです。

ニコラ・フーケの波瀾万丈な人生、いかがでしたか?
逮捕の理由は「公金横領」だったそうですが、それはマザランも他の人もやっていてみんなが目をつぶっていたこと。
なのにフーケだけこんな転落の人生を歩まされたのは、ルイ14世がヴォー・ル・ヴィコント城に激しい嫉妬を覚えたからでしょう。
事実、ルイ14世はこのお城を手がけた建築家、室内装飾家、庭園師にそのままヴェルサイユ宮殿の建築をゆだねるのです。
来週はこのお城が当時どれだけすごかったのか、建築や室内、庭園を中心にお伝えしようと思います。

Chateau de Vaux le Vicomte 
77950 Maincy
tel 01 64 14 41 90
fax 02 60 69 90 85

開館時間 3月14日から11月8日まで 10時から18まで
閉館日  7月と8月を除く毎週水曜日
イベント 噴水ショー:3月14日から10月31日までの第2、最終土曜日の15時から18時まで 
     キャンドルナイト:5月2日から10月10日まで(9月12日は除く)の20時から0時まで
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by paris_musee | 2009-03-30 00:00 | お城ミュゼ
郊外のお城に行こう! Chateau Vaux le Vicomte ヴォー・ル・ヴィコント城
長い冬が終わって春から夏に移行する3月頃から、ミュゼの営業時間が延びたり、冬期休業していたミュゼが開館したりします。
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あいにくの寒空ですが、なーんにも遮るものがない広大な土地にパっと現れるお城、素敵です。建物の周りはお堀になっていて水が張ってあります。
今回ご紹介するChateau Vaux le Vicomte(ヴォー・ル・ヴィコント城)も冬場は閉まっているお城。
クリスマスの時期に特別営業をしますが、基本的には3月中旬から11月初旬までしかオープンしていません。

このお城はヴェルサイユ宮殿のモデルとなったお城なんです。
というのも、ルイ14世の大蔵卿だったニコラ・フーケが建てた城館で、そのお披露目パーティーで王を嫉妬させたのです。
ルイ14世はその後、ヴェルサイユ宮殿を建築するにあたって、このヴォー・ル・ヴィコント城を手がけた庭師のアンドレ・ル・ノートルと、建築家のルイ・ル・ヴォー、画家で室内装飾家のシャルル・ル・ブランを指名したのです。

時間のある方は是非ともこの2つのお城を訪れてほしいのですが、できればヴォー・ル・ヴィコント城を先に見ていただきたいです。
ヴェルサイユの広大な敷地や豪華絢爛な室内装飾に比べると、どうしても見劣りがしてしまうんですよね。こちらは王様じゃない、いち貴族のお城ですから。

来週詳しいエピソードをお話しますので、今日はパリからの行き方についてご説明します。
ヴォー・ル・ヴィコント城はパリから南東に電車で30〜40分くらいの郊外に位置しています。
行き方は意外と簡単。

パリのGare de Lyon(ギャール・ドゥ・リヨン)駅からSNCFという電車に乗るか、RERのD線で行く2つの方法があります。
降りる駅はともにMelun駅。RERの方は終点ですので乗り過ごす心配がなくてオススメ。
このサイト(英語)で、「start」をGare de Lyon、「destination」をMelunと記入し、日付と希望の出発/到着時間を選択して「search」を押すと電車の時間、電車の名前(番号)と目的地が出てきます。
帰りの時刻も調べておきましょう。
念のためその前後の電車もメモって行くといいですよ。

駅に着いたら調べた電車の名前(番号)を確認して乗車しましょう。
RERの方はホームに次の電車の止まる駅が全部表示されるパネルがあります。
RERは途中で二股になるので終点をしっかり確認してくださいね。
現在、片道7,15ユーロかかります。

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バス停です。小さくて見逃してしまいそうですが、駅が見える距離にあるのでよーく探してください。
Melun駅に着いたら、place de la gareの改札口を出て、目の前にカフェがあります。
そのavenue Gallieniの通りの小さなATMだけのCredit Agricole(エメラルドグリーンの店舗)銀行前のバス乗り場からシャトルバスに乗るのが一番安いです。
片道3,5ユーロ、往復だと7ユーロ。
ただ、平日はバスがなく、土日祝でもバスの本数が極端に少ないので気をつけてください。
こちら(英語)で時刻を確認できます。
2つCatsleが出てきますが、今回の目的地はCastle of Vaux le Vicomteの方ですので気をつけて。
私が行った時は日曜日なのに運休で、何も知らないもう一組の観光客とずいぶん待ってしまいました。

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何もない土地を走って、長く続くこの並木道を通り抜けるとお城の入り口にたどり着きます。
バスで行かない場合はタクシーになります。
駅前のタクシー乗り場から乗ってください。
駅からお城まで片道、平日はだいたい15ユーロ、休日と夜間は20ユーロくらいです。
帰りもタクシーで帰るのなら、行きのタクシーの運転手さんに電話番号を聞いて呼ぶか、01 64 52 51 50もしくは01 64 41 77 00に電話をかけて呼んでください。
タクシーを呼んだ場合はお値段はもうちょっと高くなります。
歩いて帰れる距離ではないですし、流しのタクシーが拾えるほど車が通っていない辺鄙なところです。

お城の開館時間は10時から18時まで、7月と8月以外の毎週水曜日が閉館日です。
まだ行ったことがないのですが、このお城は「キャンドルナイト」という催しを5月初旬から10月上旬までの土曜日の夜行っています。
20時から24時まで入場できて、お城全体がキャンドルの柔らかい光でライトアップされるのです。

チケットは全部で5種類。
*14ユーロのチケット
1階のお部屋とルノートルの展示、フーケの展示、お庭、美術館の見学が可能。
*16ユーロのチケット
上記の施設プラス2階のフーケのアパルトマン、ドームが見学できます。
*8ユーロの美術館とお庭だけのチケットです。
*キャンドルナイトのチケット 15ユーロ
1階のお部屋とルノートルの展示、フーケの展示、お庭、美術館の見学が可能。
*キャンドルナイトのチケット 17ユーロ
上記の施設プラス2階のフーケのアパルトマン、ドームが見学できます。
残念ながら日本語はありませんが、英語、フランス語などのオーディオガイドも2ユーロで貸し出ししています。

天気のいい日はパリを飛び出してのんびりとした一日を過ごすのはいかがでしょう?
手入れの行き届いた豪奢なお城と広大なお庭のVaux le Vicomte城はとってもおすすめです。

Chateau de Vaux le Vicomte 
77950 Maincy
tel 01 64 14 41 90
fax 02 60 69 90 85

開館時間 3月14日から11月8日まで 10時から18まで
閉館日  7月と8月を除く毎週水曜日
イベント 噴水ショー:3月14日から10月31日までの第2、最終土曜日の15時から18時まで 
     キャンドルナイト:5月2日から10月10日まで(9月12日は除く)の20時から0時まで
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by paris_musee | 2009-03-23 00:00 | お城ミュゼ
<食べ物のお話>
今日はMuseeではなくて、食べ物のお話をしたいと思います。

先日、
le Bristolというホテルのレストランに行ってきました。
ロビーに着いたとたん、歴史の重厚さと内装の豪華さを感じさせる素敵なホテルです。

単なるクラシカルな雰囲気にとどまらず、その建物が昔から改修に改修を重ねて受け継がれて来た歴史を感じるのです。
楕円形の小さなレストランにはルイ14世様式の大きなテーブルが中央にあり、天井や木製の壁の装飾もルイ14世からルイ15世の様式の豪華かつ繊細なもので、シャンデリアもすばらしいけれどもどこか控えめな上品な空間でした。

星のついているレストランでしたので(3月発行のミシュランガイドで2つ星から3つ星に昇格したそうです!)、サービス係も完璧な上に仰々しいところのないフレンドリーさで、お料理はすべての感覚を刺激する楽しい発見のあるものでした。
でも、この室内装飾がさらに繊細なお料理のおいしさを引き上げていたのだと思います。

聞けば17世紀末から18世紀に建てられた貴族の城館の劇場部分がレストランになっているのだとか。
舞台は現在塞がれて楽屋とともに厨房に様変わりしており、そこには19世紀初頭のリルのゴブラン織りがさりげなく飾られていました。
もちろん装飾は当時のオリジナル。レプリカと違って時代を経たまろやかさがひびの入った壁の装飾に現れています。

本当に貴族の夕食会に招かれたような、そんな上品さと楽しさ、親密さが渾然一体となった雰囲気のレストランでした。
現代のパリで、18世紀にタイムスリップできるようなそんなレストランがあるのが嬉しかったです。
残念ながらお料理と雰囲気を味わうのに夢中で、写真は撮りませんでした。ホームページで雰囲気を楽しんでいただければと思います。

さて、18世紀の食事、それはどんなものだったのでしょうか。
ちょうどリヨンに在住の食の研究家の方に、ちょこっとお話をうかがう機会がありました。

庶民は雑穀のおかゆを食べていたのだそうです。
たまにお肉があればラッキー、そんなドロドロのおかゆにパンを浸して空腹を紛らわしていたと言います。

一方、貴族の食事は権力の誇示のひとつであり、とにかく大きく、派手なものが好まれました。
頭やしっぽも飾り付けに使って、大きなお魚やお肉をどーんと大皿に盛りつけていたのだそうです。
権力の誇示には珍しいことも重要で、白鳥やクジャク、狩りで射止めたイノシシなんかも食卓に上がりました。
でも味付けはシンプル。当時は塩、胡椒、砂糖は高級品だったので、調味料が必ず使われるとは限りません。
味気ない珍しい動物をたくさん食べる、これが当時の貴族の食事だったのですね。

現代の「アミューズブッシュ・前菜・魚料理・肉料理・チーズ・デザート」というフルコースは19世紀頃に定着したロシア式サービスで、当時はすべての食事が食卓にどっさりと乗っていたのだそうです。

つまり自分が欲しいものは自分か近くの人にとりわけてもらわないといけません。
ということは、招待客のランクが上の人から順に主人の近くに座るというきまりでしたので、机の端っこに座った人は真ん中の人のようにはいろいろな料理にありつけなかったのです。これも主人の権力の誇示というわけですね。

映画『マリー・アントワネット』ではルイ16世と王妃が食事している場面が出てきますが、なるほど大きくて派手な盛りつけのお料理を自分でとりわけて食べていました。

マリー・アントワネットと言えば、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」という有名な言葉がありますが(これは彼女の言葉ではないとも言われています)、お菓子という贅沢品が食べられるようになったのも18世紀のブルボン王朝でした。
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モントルグィユ通りは、このストレーを始め、たくさんのパン屋(ケーキ屋)さん、八百屋さん、魚屋さん、チーズ屋さん、ワイン屋さん、スーパー、カフェ、レストランがあってとても楽しい通りです。
当時食べられていたお菓子の代表に、ブリオッシュがあります。柔らかい甘みのあるパンで、今でも親しまれています。
パリのモントルグィユ通りには、ルイ15世の妃、マリー・レグザンスカがお輿入れした際に連れて来たポーランドの菓子職人ニコラ・ストレーが創業したケーキ屋さんが今でもあります。
1730年創業で、パリで一番古いお店です。
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このババはアルコールに弱い人は要注意!かなりラムがしみ込んで効きます!
ここに行ったら是非食べていただきたいのがババ・オ・ロム。
ポーランド王が娘のために持って来たブリオッシュがカチカチになってしまったのを、ニコラ・ストレーがラム酒に浸しておいしくよみがえらせたケーキです。18世紀の王妃をイメージしながら食べてみてください。
ちなみにイギリスのエリザベス女王も2004年にわざわざ立ち寄ったという、昔も今も王妃に愛されるケーキ屋さんです。

le Bristol
112,rue du Faubourg Saint-Honoré 75008 Paris
Tel : 01 53 43 43 40
営業時間 ランチ 12:30-14:00 ディナー 19:30-22:00
冬のレストランが劇場を改装した重厚でクラシカルなレストランで、
夏場(5月から9月)は気持ちのよいテラスがレストランになるそうです。


Stohrer
51 rue Montorgueil 75002 Paris 

メトロ : 4番線 Les Halles又は、Etienne Marcel
Tel : 01 42 33 38 20

営業時間 : 7:30~20:30
定休日 : 年中無休(ただし、8月1日~8月15日 夏季休暇)
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by paris_musee | 2009-03-16 00:00 | ミュゼ以外の歴史的建造物
<再びオペラ座へ オルセー美術館 Part 4  Musée d'Orsay>

以前オペラ・ガルニエについてお話ししましたが、オルセー美術館にはオペラ座に関するコーナーが設けられていて、絵画や彫刻の鑑賞に飽きちゃった人たちの楽しい発見の場になっています。
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みんなこのガラスの上に立って、下を覗き込んでいます
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よく見るとオペラ座の俯瞰模型が!丸い屋根があるのがオペラ座
0階の中央の彫刻作品がたくさんある通路のつきあたりにあるのは、このコーナーの目玉、『オペラ俯瞰模型』と『オペラ座の断面図』。
人が大勢立ちすくんで足下をみているのですが、地下にある模型を0階のガラスばりの床から文字通り俯瞰するというしくみです。
中央にオペラ座があります。
オペラ座だけでなく、オペラ周辺の建物も道路も再現されているので、このへんがギャラリー・ラファイエットだ!とか、ここのレストランで昨日ご飯を食べたとか、宿泊している場所なんかを探してみるのも面白いと思います。
ちなみにパリの建物は道路に向かって一直線に並んでいますが、個々の建物(同じ住所)は中庭があって奥に深かったりして、「ロ」の字型をしているものが多いのです。
日本とは違う建物の並びを是非チェックしてくださいね。

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こちらはオペラ座の断面模型
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入り口から大階段のクローズアップです
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観客席のクローズアップ
俯瞰模型の向こうには、またまた黒山の人だかりの写真スポットがあります。そう、オペラ座の”輪切り”。
上から見たオペラ座を今度は横から見てみようというわけです。
右端(2階部分)にはオペラ通りに面したミニ鏡の間、となりに入り口から続く大理石の大階段、中央に赤いベルベット仕立ての豪華なオペラ座の客席、隣は舞台となっています。
舞台は天井も奈落も、さまざまな上演に対応できるようにたくさんの仕掛けがしてあるのがわかると思います。
こんなに天井が高く、地下が深いとは思いませんでした。
このミニチュアは完成当時のもの。客席の天井画は今とは違います。
残念ながらここには『オペラ座の怪人』で落下する巨大なシャンデリアもありませんね。

その2大おもしろスポットの右には、舞台の天井上と地下のしかけの拡大模型があります。
そしてそれを囲むように、いくつかの有名な演目の演出例が小さな模型で再現してあります。
ボタンを押せば音楽が鳴って中の人形やカーテン、大道具が動くようなシステムにしたら子供も(大人も)大喜びなんですが、ここは地味で動くしかけはありません。

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この人がシャルル・ガルニエ氏。
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今はお目にかかれない、建設当初の天井画
2大おもしろスポットの左には設計者のシャルル・ガルニエ氏の肖像画と、昔の天井画のプランがあります。
天使や女神たちが空に向かってのぼって行くような構図で描かれた典型的な天井画です。
現在の天井画は20世紀のロシア出身の画家マルク・シャガールの幻想的な作品で覆われていますが、1964 年以前の天井画はこのような感じでした。
今でもシャガールの絵画の裏に潜んでいるそうですよ。

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カルポーの『ダンス』 写真はオルセー美術館の公式サイトからお借りしました
そしてこのコーナーの周りには、オペラ座を装飾している彫刻の原型や複製が展示してあります。
中でも有名なのがパリのオペラ座の右のファサードを飾っていた彫刻作品、ジャン=バティスト・カルポー作の『ダンス(La danse)』。
彼は1854年にローマ賞を獲得します。そのイタリア滞在中、ミケランジェロやラファエロ、バロック時代のダイナミックな彫刻に影響を受け、ナポレオン3世からも注文を受けるような彫刻家でした。
オペラ座の建築家シャルル・ガルニエはファサードを飾る彫刻を、当時ローマ賞をとり有名だった彫刻家4人に依頼します。
しかしできあがったカルポーの作品が、他の3つに比べ踊り戯れている裸体表現が官能的すぎ、バランスも悪いといってスキャンダルになってしまうんです。
オペラ座に設置された1ヶ月後、反対する人からインクを投げつけられるという事件まで起こります。
結局1870年に戦争が始まり、本人カルポーも亡くなったことでこの論争は鎮火しました。
現在オペラ座には風雨にさらされても大丈夫なように1964年以降複製が置かれていて、こちらオルセー美術館にあるのがホンモノです。
そんなエピソードをふまえて見ると、確かに右端の女性のふくよかな体は伝統的な女神の理想的なスタイルとはかけ離れているし、ちょっといたずらっぽい笑みが生々しいですよね。
ちなみにカルポーの彫刻作品はオルセーにはいくつかありますので、探してみてください。


いかがでしたか?
オペラ座の建築は19世紀の中でもとりわけ時間と費用をたっぷりかけた大事業だったことがこの特別コーナーからうかがえます。
1週間以内にオルセー美術館のチケットを見せればオペラ座の内部見学の料金が割引になるので、オルセーのミニチュアで観たものを確かめに足を運んでみるのもいいかもしれません。
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by paris_musee | 2009-03-09 00:00 | 有名ミュゼ
<印象派前の絵画は? オルセー美術館 Part3 Musée d'Orsay>


オルセー美術館はとにもかくにも「印象派」の作品がたくさんあってすばらしいのですが、1848年からの作品が展示されているので印象派前夜の作品も観なくては損!
実際にチケットを購入して館内に入ると、0階(地上階)の展示室は印象派以前の作品にあてられています。
中央の吹き抜けの通路は彫刻作品でいっぱいですが、両脇の展示室にはあっと驚く作品がさりげなーく展示されているのです。
では、簡単ですが一つ一つの展示室を観て行きましょう。

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アングルの『泉』
<展示室1>アングルとアングル派
アングルの作品はルーヴル美術館にもたくさんありますが、こちらでは『泉』(la source)が観られます。
デッサンを重視し、製作には写真を用いたりしていたほどなのですが、「本物そっくりに描いたものが絵画として美しいとは限らない」ということで本物からちょっとバランスを崩したり、デフォルメしたりして描くのが特徴です。

<展示室2>ドラクロワ
ドラクロワはロマン主義の画家。
アングルやダヴィット(ルーヴルに作品アリ)の知的で静かな新古典主義に反発して、ダイナミックで感情的な作品を描きました。
具体的にはモチーフを画面に対して斜めに配置したり、曲線や原色をつかったり、悲劇や異国情緒ただよう題材を描いたりします。
ドラクロワもルーヴル美術館に大作がたくさんありますので、そちらも是非観てみてください。

<展示室3> 1860~1880年
保守的なアカデミーがよしとする絵画と印象派(革新的な)絵画がちょうど交錯する時期です。
この展示室では、以前ご紹介したカバネルの『ヴィーナスの誕生』(la naissance de Vénus)を目の前で観てください。
彼はサロンの常連で、かなり影響力をもっていた画家ですが、この透き通るように白い肌をもち、目を半分閉じて恍惚の表情の女性はギリギリのところで上品さと神秘性を保っていて、美しいなあと思います。

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ドーミエの風刺彫刻。当時の政治家の顔がわかってたらもっと面白いでしょうね。
<展示室4> ドーミエ
この部屋にはドーミエの風刺版画、風刺彫刻、絵画があります。
19世紀は市民がどんどん力をつけていく時代ですが、まだまだ識字率は低く、新聞を読める人はあまりいませんでした。
でも難しい時事問題を風刺したイラストが入った新聞が大流行、ドーミエは風刺版画の仕事で成功します。
写真も新聞に使われていなかった当時の政治家や文化人の特徴をよくつかんだドーミエの鋭くユーモアのあるイラストはとても面白いですよ。
ちなみにフランスではいまだに風刺イラストの新聞が結構残っていて、メトロで読みふける人を見かけます。

<展示室5>バルビゾン派
以前ご紹介したフォンテーヌブローのお城の近くにバルビゾンという村があります。
ここで自然をモチーフにした絵を描いたミレー、コロー、ルソーなどの画家たちをバルビゾン派と呼んだりします。
コローの作品はルーヴル美術館にもたくさんあるのですが、旅行中に出会った普通の自然の風景を、奥深い森の中に現れる池や木漏れ日などどこか神話チックに描いているのがとても癒されます。
ちなみに日本初の「西洋画」はバルビゾン派でした。
現・東京芸術大学で明治時代に油画科が新設された時の教授が影響を受けていたからです。
黒田清輝なんかも間接的にバルビゾン派だったと言ったら大げさでしょうか。

<展示室6>オリエンタリズム
フランスの人はオリエンタル、エキゾチックなものが大好き。
パリなんかは特に、アフリカ、アラブ、アジアの文化がミックスされて今でもとても国際的です。
19世紀には政治的にも海外遠征などでアフリカやアラブ諸国のイメージが新鮮で興味深いものでした。
サハラ砂漠やアルジェリアなどの風景画がここに展示されています。

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ミレーの『晩鐘』です。農民の大地の豊穣に感謝と祈りを捧げる崇高な時間を描いています。
<セーヌギャラリー>
ミレーの『晩鐘』(l'Angélus)『落ち穂拾い』(Des glaneuses)、コロー、マネ『草上の昼食』(le déjeuner sur l'herbe)、モネ、ピサロ、シスレーの贅沢なオンパレードです。
小振りな作品が多いですが、見応えがあります。
ミレーの『種をまく人』は山梨県立美術館にも所蔵されているんですよ。
余談ですが『種をまく人』は岩波書店のシンボルマークにもなっています。

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クールベ『オルナンの埋葬』 と〜っても大きな作品です。老夫婦がずっとこの作品の前でなにやら話をしていました。フランスの老夫婦はおしゃれです。
<展示室7>クールベ
クールベの大きな作品が3つ展示してあります。
ここにある有名な『オルナンの埋葬』『画家のアトリエ』は、1855年のパリ万博に展示しようと応募するのですが却下されました。
歴史画のように大きく大げさな絵画ですが、アカデミーの決まり事を守っているとは言いがたかったからです。
仕方がないから展覧会場の横で彼は勝手に「クールベ展」を開催してしまうんですね。
これが史上初の個展だとも言われています。
『オルナンの埋葬』に見られるような白い絵の具のペタペタ感がちょっと新しい時代を呼びそうな予感がしませんか?

<展示室8>建築設計図
こちらの展示室は19世紀に次々と建てられた建造物のデッサンや設計図などを集めた部屋です。
オペラ座、シャンゼリゼ、グランパレ、オルセー駅、ルーヴル美術館など今でも見ることのできる建築計画が見れますよ。

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金ぴかの化粧台です。貴族の結婚祝いに作られたものとか。こんな鏡台でお化粧をしたら厚化粧になってしまいそう!?
<展示室9>19世紀の装飾美術
パリ万博などに出品されたり、貴族たちに頼まれたりして作られた飾り棚や化粧台、テーブルなどが展示されています。
ゴテゴテ、ピカピカのすごいものが多いのですが、その「すごい」技術を国内外にアピールしたのが19世紀の万博のテーマでもあるので納得です。

<展示室10>
私が訪れた日は展示変え中でした。いつもは何をやっているのでしょうか??

<展示室11>シャバンヌ
シャバンヌという人の不思議な雰囲気の絵画がたくさんあります。
ほわほわーっとしてて何とも形容しがたい作品ですが、筆遣いが荒っぽかったり、それはそれでこの時代には珍しそうな新しい作品です。

<展示室12>モローなど
ギュスターブ・モローも不思議な雰囲気の作品を描く作家です。
題材は神話などからとっているのですが、例えば登場人物の洋服の模様などが異様に細かく描かれたりしてびっくりします。
パリにはモローのアトリエを改造した美術館がありますが、こちらも雰囲気があってオススメです。
1週間以内でしたら、オルセーのチケットを見せれば入場料が割引になるそうです。

<展示室13>1870年以前
ドガの作品がたくさんあります。
バレエの練習をする少女たちを描いた作品で有名ですね。
印象派の作家たちとつるんではいたのですが、彼の興味は自然よりも人間でした。
生活感あふれる人間や、ポートレートが展示されています。
彼は住んでいたモンマルトルの墓地に眠っています。

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マネの『オランピア』 右端の暗闇に黒猫がいるんですよ。中央の女性がしているチョーカーはオルセーのミュージアムショップで売っています。
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こちらマネの『バルコニー』 彼が描く女性は黒髪で強い意志をもったまなざしをしている人が多いです。
<展示室14>マネ
私はマネが大好きです。
この展示室はそんなマネ好きにとって狂喜乱舞してしまうところ。
『オランピア』(Olympia)に『エミール・ゾラ』(Emile Zola)『笛を吹く少年』(Le fifre)『バルコニー』(Le balcon)といった大作がここに展示されています。
マネのお話はいつかまたあらためてしたいと思います。

<展示室15,16> クールベ
さきほどのクールベの小品があるのがここです。
16展示室の奥に飾られている『種の起源』(L'origine du monde)は是非観てください。
タイトルと、写実的であることにこだわったクールベの絵画にウンウン、とうなってしまう一品です。

<展示室17, 19, 20, 21>
展示変え中で閉鎖されていました。
普段は寄贈されたコレクションを見せているようです。

<展示室18>モネ
マネだのモネだの紛らわしいのですが、有名なマネの『草上の昼食』と同じタイトルの作品があります。
モネも光に取り憑かれてどんどんと抽象的な方向に行ってしまうのですが、ここにある作品はかなりデッサンのきちんとした作品たち。
描かれたブルジョワの楽しいピクニックの様子が伝わってきます。

<展示室22>ピサロ、シスレー
ピサロとシスレーの風景画を中心に集めた展示室です。
戸外で自然の光に包まれながら描いた彼らの作品は気持ち良さそうな空気が流れています。
ちょっと筆致が荒々しくなって来たけれど、晩年ほどではありません。
5階の「印象派」コーナーにも彼らの作品があるのでその違いを比べてみてください。

<展示室23>自然主義的風景画
印象派前夜なんですけれど、まだまだ「そっくりそのまま」の呪縛から抜け出せないのがこの0階の作品群。
こちらの展示室ももれなく、このままリアルに描くことはなんか違うと気づきながらもそこから進めないでいる作家たちのジレンマが見えるような気がします。


いかがでしたか?絵画だけのご紹介でしたが、展示室を番号順に巡ると画家たちがどのようにスタイルを変えて行ったのかがわかります。
デッサンが命、神話や歴史の物語重視、筆致を残さないツルツルの画面がいいとされていたのに、だんだんとデッサンが狂い始め、日常の出来事をモチーフにし始め、筆跡がわかるような荒々しい筆致になってきました。
まだ作品が何を描いたかは完全にわかりますよね。リアルです。
でも印象派の飛び抜けた「新しさ」は、この0階にある作品の「リアル」との葛藤の後に産まれたものと言っても過言ではありません。
なのでやっぱりこの階をざざーっと観てから5階の展示室を観ていただきたいと思います。

次回は0階の奥のちょっとしたコーナーについてお話しますね。
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by paris_musee | 2009-03-02 00:00 | 有名ミュゼ