パリにあるとっておきミュゼをご案内します
by paris_musee
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリ
有名ミュゼ
お城ミュゼ
邸宅ミュゼ
テーマミュゼ
企画展
ミュゼ以外の歴史的建造物
その他
以前の記事
2010年 04月
2010年 03月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
<   2009年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧
さすがは本場、充実のフランス絵画 パート2 ルーヴル美術館 リシュリュウ翼+シュリー翼2e(3階)

<16世紀末から17世紀 バロックの時代>
美術の様式にはだいたい名前がついていて、ちょっとお勉強的になってしまうのがタマにキズですが、特徴を分類する上で便利なのでおつきあいいただきたいと思います。
「バロック」というのも様式の名前で、ルネサンスの後に登場します。
私が聴講していたルーヴル学院の授業でも、近代美術はバロックから始まりました。
f0197072_23135351.jpg

彼がカリスマ・バロック画家のカラヴァッジオ。なんだかとっつきにくそうなお顔に見えませんか
バロックと言えばカラヴァッジオ。この人はイタリアの人です。バロックのカリスマ画家。
実は彼、才能はあるんですがお酒を飲むと人が変わってしまい、何度も刑務所に入れられたワケアリの画家。
ある日、決闘をして相手を殺してしまったこともあるんです。

f0197072_23143432.jpg

こちら『聖トマスの懐疑』という作品。イエスの復活を目撃しなかった使徒のトマスが、実際にイエスの聖痕に指を突っ込んでやっと信じる、というシーンです。光が差し込んで明暗対比がハッキリしているのと、イエスもトマスも聖人というよりフツーの人っぽく描かれ、さらに劇的な場面を題材にしていますよね。この作品はドイツのサンスーシ宮にあります
こんな激情型の性格を反映してか、彼の描く絵画はとてもダイナミック。
暗い室内に明るい光が差し込む明暗対比と、動きのある場面や劇的な一瞬をリアルに描くのが特徴です。
宗教的なテーマでも、それをわざと日常にありがちな風景の中にとけ込ませたりします。
フツーの人に見えても、それがキリストだったりするのです。
そんなカラヴァッジオの作風は、そのままバロックの特徴といってもいいでしょう。
彼はイタリアから一歩も出ず、若くして死んでしまったのですが、この革新的な作風を学ぼうとヨーロッパ中からアーティストが集まり、バロックがヨーロッパへと広まりました。
カラヴァッジオの作風を取り入れた画家を「カラヴァジスム」の画家と言ったりします。

カラヴァッジオが大好きだったテーマのひとつに『女占い師』というのがあります。
この作品もルーヴルにあるので、見比べてみましょう。
女に占いをしてもらう場面なのですが、よく見ると占ってもらってる男の手からそーっと指輪を抜き取られている場面だったりします。
自分の運命を知りたいという欲求はみんな持っているけれど、その誘惑に負けてしまうとダマされたりするから気をつけなさい、という教訓でしょうか。
f0197072_216275.jpg

ニコラ・レニエの『女占い師』は、右の占ってもらってる白人女性のポケットからいままさにお財布が抜き取られているところが描かれています。
それだけかと思いきや、後ろの白人男性が占い師から鶏を盗んでいる瞬間も描かれています。だましだまされ...。
f0197072_2162013.jpg

ヴァランタン・ドゥ・ブーローニュの『女占い師』も、中央の占い師の手には男性から抜き取った指輪のようなものが見えますし、彼女のポケットのお財布(多分これも前のお客さんから盗んだであろう)を左端の男が盗ろうとしている場面が描かれています。
この2人の「カラヴァジスム」のフランスの画家は直接カラヴァッジオに師事したわけではありませんでしたが、フランスのカラヴァジスムの作家として活躍しました。

カラヴァッジオ。
問題を起こすたびにイタリア中を逃げ回る38年間の短い人生でしたが、その革新的な作風はどこへ行っても人気で仕事の依頼が切れることはありませんでした。
殺人まで犯したのに、その依頼主が教会だったというのも、いかに画家として信頼されていたかがわかりますよね。
彼の作品が同時代のイタリアだけでなく、その後のヨーロッパの絵画史に与えた影響もすごいものでした。
人生と作品の価値のギャップが大きくて、興味深い画家のひとりです。

まだまだフランス絵画の展示室は続きます。
カラヴァッジオがフランス絵画に与えた影響はどんなものだったのでしょうか。
次回はそんなところをお話ししたいと思います。


*最初の2点の作品はwikipedia Franceからお借りしました。


住所   rue de Rivoli 75001(正式な住所はMusée du Louvre。メトロを出たらすぐわかると思います)
メトロ  1番線、7番線 Palais Royal-Musée du Louvre
開館時間 水曜日から月曜日 9時から18時(水曜日と金曜日は22時まで)
チケット 常設展とドラクロワ美術館 9ユーロ (水曜日と金曜日の18時から6ユーロ)
ナポレオンホールの企画展のみ 9.5ユーロ
常設展と企画展 13ユーロ (水曜日と金曜日の18時から11ユーロ)
毎月第1日曜日は入場無料
日本語公式サイト


[PR]
by paris_musee | 2009-07-27 00:00 | 有名ミュゼ
さすがは本場、充実のフランス絵画 パート1 ルーヴル美術館 リシュリュウ翼+シュリー翼2e(3階)


当たり前ですが、フランスにはフランス絵画がいーっぱいあります。
その首都パリでしたら、ルーヴル美術館、オルセー美術館、ポンピドウ美術館の3大美術館を回れば、フランス絵画史の傑作のほとんどを見ることができると言っても言い過ぎではないでしょう。

今週からルーヴル美術館のフランス絵画を何回かにわたってご紹介したいと思います。
どれもこれもご紹介したいのですが、中でもとくに有名な作品や画家をピックアップしていきます。
リシュリュウ翼から入場して、エスカレーターで最上階の2e(日本式3階)まで上っていきましょう。

<14世紀 フランス最古の絵画>
f0197072_272356.jpg

ルーヴル美術館に展示されているフランス絵画は14世紀から始まります。
現存する最古のフランス絵画のひとつがコレ、『ジャン2世善良王の肖像画』。
壁画だったらもっと古いものが残されていますが、持ち運べる小さな絵画ではヨーロッパでももっとも古いものなんですって。
で、この人はイギリスとの百年戦争のまっただ中に君臨したヴァロア朝の2代目王。
イギリスの捕虜になってしまい、ロンドンで亡くなります。
中世の絵画(主に宗教画)は人物が理想化されて描かれていますが、これは意外にリアル。
友達の田舎の結婚式なんかに出席すると、こういうお顔の親戚がいたりします。
親しみやすい王様に見えるのは私だけでしょうか。

<15世紀、16世紀 フランスのルネサンス=フォンテーヌブロー派>
f0197072_273979.jpg

ルネサンスと言えばイタリア。当時のモードの発信地はフランスではありませんでした。
洗練されていない田舎のフランスは、イタリアに憧れてその様式をマネします。
ジャン・フーケが描いた『シャルル7世の肖像』は、素朴な『ジャン2世善良王の肖像』に比べて衣のヒダとかベロアの質感なんかがより繊細に描かれています。
f0197072_275776.jpg

約1世紀後のジャン・クルーエによる『フランソワ1世の肖像』はさらに衣装の質感が写実的で、奥行きを感じさせる空間が描かれています。

ルネサンスというのは、中世の理想化され抽象的に描かれている人物像に比べて、古代ギリシャ・ローマの彫刻などのように調和がとれ、本物そっくりに描かれるよういろいろな工夫がされた時代でもあります。
そうして背景に正確な遠近法が用いられたり、陰影の付け方など新しいテクニックが生まれるんです。
テーマもキリスト教だけでなく、ギリシャローマの神話などが取り上げられました。
フランスでは、クルーエの肖像画の張本人、フランソワ1世が本場のイタリア人アーティストを自分の城に招聘して芸術を擁護しました。
晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスへ呼んだのも彼なんです。
以前ご紹介したフォンテーヌブロー城もフランスルネサンスの舞台になっています。
その場所にちなんで、この時代の絵画様式を「フォンテーヌブロー派」と呼んでいます。

f0197072_281482.jpg

こちらの作品はフォンテーヌブロー派の初期の作品。
フランスのルネサンスの作品です。
とはいいつつ、おなじみのレオナルド・ダ・ヴィンチなんかの作品とは全然違いますよね。
実はフランスで流行したルネサンスは、イタリアのいわゆる3巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエッロ、ミケランジェロが活躍した盛期ルネサンスではありませんでした。
盛期ルネサンスを通り越して、その後のマニエリスム(「マンネリ」の語源です)を輸入したというのが実のところ。
乱暴に言うと、マニエリスムってルネサンスの「調和」にこだわりすぎたあまりマンネリ化し、人物が8頭身や9頭身と間延びしてしまった様式です。
ホラ、ギリシャ神話のお約束の三美神やキューピッドが出て来たり、花々がきれいに咲いているんですが、キューピッドは子供らしくなくて中途半端に成長してしまってカワイくありません。
他の人物も手足が長くて頭が小さくて、よくみると変なプロポーションの不思議な作品になっていると思いませんか。
f0197072_284037.jpg

こちらの作品が後期フォンテーヌブロー派の代表的作品、『ガブリエル・デストレとその姉妹の一人』。
左手に指輪を持っている右の人物がガブリエル。アンリ4世の子供を妊娠したことを表しているのです。
左にいるのが姉妹。ガブリエルの乳首をつまんでいる仕草が面白いですね。
奥にいる召使いが縫っているものは、子供の産着とも言われています。
陰影の付け方、奥行き表現、上品な仕草と洗練されたフォルム、そして神秘性がフォンテーヌブロー派の作品の特徴です。

今日はここまでです。
本場イタリアの芸術をフランスにもってくるとき、どうしても時差が生じたり、違うところにスポットが当てられたりして、そのまんまの芸術様式とは違うものになってしまうんですね。
来週お話しする時代も、イタリア直輸入のはずがフランス独自の絵画様式に発展してしまいます。
それではまた来週!

住所   rue de Rivoli 75001(正式な住所はMusée du Louvre。メトロを出たらすぐわかると思います)
メトロ  1番線、7番線 Palais Royal-Musée du Louvre
開館時間 水曜日から月曜日 9時から18時(水曜日と金曜日は22時まで)
チケット 常設展とドラクロワ美術館 9ユーロ (水曜日と金曜日の18時から6ユーロ)
ナポレオンホールの企画展のみ 9.5ユーロ
常設展と企画展 13ユーロ (水曜日と金曜日の18時から11ユーロ)
毎月第1日曜日は入場無料
日本語公式サイト


[PR]
by paris_musee | 2009-07-20 00:00 | 有名ミュゼ
マリー・アントワネットを訪ねて フランス革命 パート2 ーカルナヴァレ美術館ー Musée Carnavalet

先週はルイ16世一家が現在のチュイルリー公園にあった宮殿に幽閉されたところまでお話ししました。
王家のいなくなったヴェルサイユ宮殿からは、略奪を逃れた家具や彼らのものが新居に持ち込まれたので、
手狭になったとはいえ、まだまだ王族らしい生活は保たれていたのです。
そのときの革命の指導者たちも、王様はそのまま君主としていてもらうけれど、王権は憲法と議会によって制限されるという立憲君主制を目指していたのです。今のイギリスみたいな感じでしょうか。

でも王家と議会の間にいて、王に有利になるよう便宜を図ってくれていた人物ミラボーが死ぬと、
革命がもっと過激になっていくんじゃないかと危惧した国王は、
マリー・アントワネットの愛人とも言われていたスウェーデンの貴族フェルセンの「国外逃亡」のプランを実行するのです。
フェルセンは『ベルばら』でも主人公のひとりとしてクローズアップされているので、ご存知の方も多いかと思います。

小説でこの辺のくだりを読んでいると、ハラハラドキドキしてしまうのですが、結局この逃亡計画は失敗に終わります。
敗因はいろいろあるでしょうが、国王一家のプライドが邪魔してこの旅行が豪華で目立ってしまったのが原因のひとつです。
ワインに食事に衣装に馬車、どれもが不自由ないようにと配慮されて大荷物になってしまったんですね。
移動に時間がかかり、待ち合わせ場所に遅れるものだから、味方の軍や馬も待ちくだびれて帰ってしまう。
変装していたものの、あと少しの国境近くで国王一家だとバレて、非難轟々、罵倒され侮辱されながらパリに引き戻されるのです。

この国王の裏切りに擁護派の支持も失うと、外国が国王一家を救うためフランス国民軍と戦争を開始します。
フランス国民軍は負け続けます。
マリー・アントワネットがフランス軍の作戦を外国軍に漏らしていたからに違いないと疑われてしまいます。
そして国王一家はタンプル塔に移送されてしまいました。
f0197072_19402668.jpg

タンプル塔の絵。暗くて寂しい感じがしますが、もともとは貴族の邸宅でした
このタンプル塔、現在は3区の区役所とスクエア・タンプルという小さな公園になっている場所にありました。
カルナヴァレ美術館からも歩いていける距離。
おしゃれなブティックがある今一番若者に人気の場所を通るので、お散歩も楽しいです。

f0197072_19394830.jpg

タンプル塔の再現部屋。質素な家具に加えて照明もくらーくしてあるので、本当に寂しい感じがします
この塔の中がどんな感じだったのかは、カルナヴァレ美術館の一角に部屋の様子が再現されています。
普通の人の目にも質素と映る、小さくシンプルな装飾のベットや棚に囲まれて、家族でビリアードやゲームをして過ごしたといいます。
革命はどんどん激化していき、彼らの待遇も日に日に悪くなっていきます。

f0197072_19393050.jpg

家族と引き離された1ヶ月におよぶルイ16世の裁判が終わり、翌朝死刑となります。最後に家族と会うことが許され、ルイ16世は息子に「私を死刑にした人を恨んではいけない」と声をかけます
この展示室には、革命裁判にかけられてルイ16世との最後の別れのシーン、息子を引き離されて号泣するマリー・アントワネット、夫が死んで喪服を着ているマリー・アントワネット、断頭台に上るルイ16世などの絵画が展示してあります。
マリー・アントワネットの髪の毛が入ったアクセサリーなんかもあります。
1793年の1月に、現在のコンコルド広場でルイ16世はギロチンにかけられます。

f0197072_1940564.jpg

ルイ16世の死後、マリー・アントワネットは寡婦として質素な喪服をつくってもらいます。37歳のマリー。疲れはて過去の優美さはなくなってしまいました。でも裁判、死刑執行の日まで元王妃としての落ち着きと品位は失いませんでした
その後、マリー・アントワネットも裁判にかけられるため、シテ島にあるコンシェルジュリーという当時の牢獄に入れられ、人生で一番惨めな環境の中でも威厳を保ちながら毎日を過ごし、10月に夫と同じ場所で処刑されました。

革命はその後も終わらず、主導者が出ては旧体制のリーダーがギロチンにかけられることを繰り返して、ナポレオン・ボナパルトの台頭によってようやくフランスは平穏な日を迎えました。

ちなみにルイ16世とマリー・アントワネットの遺体は処刑当時は他の処刑者と一緒にされていましたが、現在ではパリ北郊外にあるサンドニの大聖堂の地下にきちんと葬られています。

いかがでしたか?
急ぎ足のフランス革命になってしまいましたが、実際の革命もあれよあれよと言う間に体制が変化して、その荒波にもまれて王と王妃は処刑されてしまったのです。
残った幼いルイ17世はタンプル宮で死んでいるのを発見されるのですが、「死んだのはニセもので、ルイ17世は逃亡してた」という噂が後を絶たず、自称ルイ17世がたくさん名乗り出たそうです。
でも最近DNA鑑定でタンプル宮で亡くなったのが本物のルイ17世という結論になり、歴史マニアをワクワクさせたミステリーに終止符がうたれました。

ちなみに明日、7月14日はフランス国家祭典である「革命記念日」です。
王権を打倒して、現代に続く市民社会を築くことになったフランス革命を記念したお祭りです。
革命の舞台シャンゼリゼ通りとコンコルド広場にかけて行われるフランスが誇る陸、海、空の軍隊パレードが朝からテレビ中継され、
夜にはエッフェル塔のそばで華やかな花火大会があります。
ちょっと歴史を知っていると、こんなお祭りも少し複雑な思いがしてくるから不思議です。
それではまた!

カルナヴァレ美術館Hôtel Carnavalet 

23, rue de Sévigné
75003 Paris
電話 : 01 44 59 58 58
Fax : 01 44 59 58 11
メトロ Saint-Paul(1番線) Chemin vert(8番線)
開館時間 10時から18時(レジは17時半で閉まります)
休館日 月曜日、祝日
入場料 常設展示 無料 /企画展示 4.5ユーロ(18歳以上26歳未満は3.8ユーロ)

[PR]
by paris_musee | 2009-07-13 00:00 | 邸宅ミュゼ
マリー・アントワネットを訪ねて フランス革命 パート1 ーカルナヴァレ美術館ー Musée Carnavalet

また悲劇の王妃のお話に戻ります。
マリー・アントワネットを語るとき、
彼女の人生の後半をさけて通ることができません。
自由奔放と浪費の代償とも、
革命の嵐に飲み込まれた犠牲者ともとらえることができますが、
あまりにドラマティックで壮絶な最期を迎えた彼女の人生は、
他の歴史にも例がないほど残酷でした。

そんな悲劇のヒロインの顛末を知るには、
前にもご紹介したマレに位置するカルナヴァレ美術館がオススメ。
以前「貴族のおうち」ということでご紹介したミュゼです。
パリの歴史博物館ともいうべきこのミュゼの2階(日本式の3階)は、
フランス革命に関する資料がたくさん展示してあります。
f0197072_19161464.jpg

フランス革命の始まりとされる7月14日のバスティーユ牢獄襲撃の絵

フランス革命史は研究が進んでいるのでどこまでも細かく説明できてしまう分野だと思いますが、
(もちろん私は専門家ではないので、詳しく説明することができませんが)
できるかぎりサラっとわかりやすく展示品を交えてご紹介できればと思います。

f0197072_19153610.jpg

フランス革命の展示室。この石膏像は、王権に有利なように憲法を作ると国王に密約していたミラボーさん。借金が多くて女遊びがひどかったんですが、国王一家はこの人にたよらざるを得ない状態でした

マリー・アントワネットや王侯貴族が退屈な毎日をハデに遊んでヒマつぶししているとき、
天候不良による凶作とたびかさなる増税が相まって、
農民たちは日々の糧であるパンすらも食べられない生活を余儀なくされていました。
ヴェルサイユの乱痴気騒ぎは風刺新聞などにより誇張されて人々の知るところとなっていたので、
貧困への怒りの矛先は、当然ヴェルサイユにむけられるのです。

f0197072_19152051.jpg

ダヴィットによる絵画。中央で本(宣誓文)を読んでるのが後にパリ市長になるバイイさん
政治的には、300年ほど開かれなかった平民身分の代表も含む議会の招集が決定するのですが、
貴族や僧侶身分のみ集まって、平民を閉め出してしまいます。
そこでヴェルサイユ宮殿の敷地内にある「ジュー・ドゥ・ポウム」(球戯場)に集まって
「平民の権利が認められるまで一致団結するぞー!」と宣言をするのです。
これが世界史の教科書でもおなじみの『テニスコートの誓い』です。
よく貸し出してしまっているのですが、カルナヴァレ美術館の所有で運がよければ見ることができます。

f0197072_19155483.jpg

この展示室には襲撃に使われた武器やバスティーユ牢獄のマスターキーなども展示されています
そして7月14日のバスティーユ牢獄の襲撃。
この爆撃されたバスティーユ牢獄の破片で作られたミニバスティーユ牢獄が展示されています。
今では雑貨屋やセレクトショップ、おしゃれなカフェやレストランが立ち並ぶ若者の街になっているバスティーユですが、
ここにあった牢獄を平民たちが襲撃したことで、フランス革命がフランス全国に飛び火します。
ちなみに現在、毎年7月14日はフランスのお祭りの日となっています。
パリ祭と日本では呼ばれていますが、昼は軍事パレード、夜はエッフェル塔の大花火大会と賑やかな一日となり、
この日を境にパリジャンは長い夏のヴァカンスムード一色となるんです。

ソフィア・コッポラの映画『マリー・アントワネット』はこの場面で終わるのですが、
農民、主に家計を預かる女性がパリからヴェルサイユ宮殿まで抗議の行進をします。
「私たちと一緒に逃げてください」という臣下の声を振り切って、
ルイ16世一家はヴェルサイユ宮殿に残ってしまうのです。
怒り狂った農民たちは、ホンモノのマリー・アントワネットの美しさにしばし戦意を喪失しますが、
翌朝、宮殿を守る近衛兵を殺して宮殿に乗り込みます。
そして王様一家は長年住み慣れたヴェルサイユ宮殿を離れ、農民たちにパリへ引き渡されてしまうのです。
f0197072_19163452.jpg

これは「人権宣言」。最初ルイ16世はこの採択を拒否するんですが、革命が進むにつれて承認しなくてはならなくなりました

ヴェルサイユ宮殿の次に彼らの家となったのが、今のチュイルリー公園内にあったチュイルリー宮殿。
(ルーヴル美術館の建物ではなくて、のちに壊されました)
荒れ果てたこの宮殿を急遽リフォームして、なんとか王家の居室となりました。
この時点では庭を散歩したり、人を招いたり、郊外の離宮へ外出したりと、
かなりの自由が認められていたそうです。
それでも絶対王政は崩れ、国民議会の監視下に置かれていたので事実上の幽閉でした。

1789年に次々とこのような事件が起きて、ルイ16世とマリー・アントワネットの生活はガラリと変わります。
その後少しだけ革命は小康状態になるんですが、ご存知の通りまだまだ彼らには試練が待ち受けているんですよね。
では続きは来週また!


カルナヴァレ美術館Hôtel Carnavalet 

23, rue de Sévigné
75003 Paris
電話 : 01 44 59 58 58
Fax : 01 44 59 58 11
メトロ Saint-Paul(1番線) Chemin vert(8番線)
開館時間 10時から18時(レジは17時半で閉まります)
休館日 月曜日、祝日
入場料 常設展示 無料 /企画展示 4.5ユーロ(18歳以上26歳未満は3.8ユーロ)



[PR]
by paris_musee | 2009-07-06 00:00 | 邸宅ミュゼ