パリにあるとっておきミュゼをご案内します
by paris_musee
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリ
有名ミュゼ
お城ミュゼ
邸宅ミュゼ
テーマミュゼ
企画展
ミュゼ以外の歴史的建造物
その他
以前の記事
2010年 04月
2010年 03月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
<   2009年 12月 ( 4 )   > この月の画像一覧
モローの細密テクニック ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau

先週、具体的に作品をご覧になって、モローの特徴が少しおわかりになったかと思います。
神話の中の「死」や「残酷」なシーンを連想させるエピソードを非現実的な空間に描く、というのが共通していました。
実は、ギュスターヴ・モロー美術館では、もうひとつのモローの特徴である「細密表現」が間近でたくさん観られます。
他の美術館にある作品は完成品ばかりですが、こちらは画家の住居兼アトリエだったので未完と思われる作品が多く、どんな風にモローが描き進めていたかがよくわかるのです。
f0197072_347362.jpg

人物の肌の上にとっても細かく模様が描かれています
こちらをご覧ください。
作品の一部をクローズアップしたものですが、色を塗っている部分、塗っていない部分、ところどころにびっしりと細かい模様が描き込まれているんです。
いろんな画家の作品を観てきましたが、こんな風に細部に過剰なまでの装飾を描いている作品は彼以外思い当たりません。
絵画の画面に白や黒の細い筆でアラビア紋様が浮かび上がり、暗い空間にも幾何学装飾模様がちりばめられてオリエンタルで幻想的な雰囲気を醸し出しています。
未完の作品と思われますので、このあとこの入れ墨のような細密画がくっきりと残るのか、それともうっすらと浮き上がる程度なのか、はたまた完全に消されてしまうのか、とても興味深いところです。

さて、ここで『サロメ』シリーズについてお話ししたいと思います。
「世紀末芸術」の芸術家が好んだ神話が聖書の「サロメ」です。
オスカー・ワイルドが書いた小説『サロメ』の挿絵はすでにご紹介しましたね。
ヘロデ王の祝宴での踊りの褒美として「欲しい物は何か?」と聞かれ、サロメは「洗礼者ヨハネの首が欲しい」と答え、実際にヨハネの首を手にするという残酷なお話。
これはずーっと昔から絵画のモチーフとして好まれましたが、とくに19世紀末に大ブレイク、モローもこのテーマをいろんな角度からたくさん描いています。
f0197072_3483247.jpg

『オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘』という作品はオルセー美術館に所蔵されています。
血の気の失せた美しいヨハネの首を、うっとりとした表情でみつめるサロメ。
耽美的な色気が漂った作品です。
f0197072_3485356.jpg

『出現』ルーヴル美術館で見ることができます。
サロメが斬首させたヨハネの首が光を放ちながら空中に浮いているという、彼のオリジナルの解釈です。
こちらは細密表現が画面にちりばめられていて、ヨハネの首を指差すサロメという異様な光景をさらに幻想的なイメージへと飛躍させています。
サロメが身にまとうオリエンタルな衣装が細かく描かれていて、女性の柔らかい肌とキラキラと輝く豪華な固い金属や貴石の対比がわかりますね。

f0197072_3491030.jpg

そしてこの『出現』の習作と思われる作品が2点モロー美術館に収蔵されています。
最初の作品はサロメの肌には割と雑に絵の具を乗せただけで、背景のアラベスク模様が白く丹念に描かれています。
これはこれでまるで書き割りのような線で描いた2次元の世界を背景に、生身の人間がこのシーンを演じているような、演劇のような雰囲気が感じられないでしょうか。
f0197072_3492788.jpg

もうひとつの作品は『タトゥーのサロメ』なんて呼ばれているように、サロメの肌に精密な黒の線で模様が描き込まれているものです。
ルーヴルバージョンと比べてサロメの目を閉じた表情がとても官能的です。こちらはサロメの血の滴る首はありませんね。

f0197072_3501548.jpg


ちょうど彼が生きていた頃にはパリ万国博覧会という世界中の珍しい物を集めた大きなイベントがあったので、インドや東南アジア、アラブ諸国の建築物や彫刻、衣装や宝飾品などを間近で観る機会があったんじゃないかなあと思います。
そんなオリエント趣味の細密表現がモローのアトリエにはたくさんあります。
華美な装飾を施した東南アジアの古代遺跡のような建物だったり、象だったり、ベリーダンスの衣装のような豪奢な装飾だったり。
大きなカンバスに描かれているのに、画面の至る所に小さな小さな線描があるんです。
遠くから観ても近くから観ても2度楽しい、それがモローの作品だと思います。
モローの作品をご覧になることがあったら、是非「細密描写」を探してくださいね。

次回は、モロー美術館の住居部分のご説明をしたいと思います。

このブログも早いもので2年目を迎えることができました。
パリの面白いミュゼはまだまだたくさんあるので、2010年も変わらず皆様にミュゼの楽しさをお伝えできればと思っております。
来年もどうぞよろしくお願い致します。


今回の画像はクローズアップのものを除き、wikipediaからお借りしました。


ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau
住所:14, rue de la Rochefoucaud
電話:0148 74 38 50
メトロ:12番線 Trinite または st-George
開館時間:10:00-12:45 昼休みをはさんで 14:00-17:15
休館日:火曜日
入場料:5euros (割引は3euros、18才以下と第一日曜日は無料)
美術館公式サイト
[PR]
by paris_musee | 2009-12-28 00:00 | 邸宅ミュゼ
象徴主義の先駆者、モロー ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau

先週はモローのおいたちをざざーっと述べておいて、意味不明なことばで乱暴にまとめてしまいました。

特に最後のこの文章、

でもアカデミーという権威と深く関わったモローだからこそ、世紀末に向かう不安な時代精神を感じつつ、神話や聖書を扱う歴史画のカテゴリーの中でのオリジナリティの模索というかたちで、モロー独自の「象徴主義」の萌芽ともとらえられるような作品が生み出されたのかもしれません。

太字のところをご説明したいと思います。

アカデミーでは、ギリシャ神話や聖書の物語を題材にした歴史画というジャンルが一番絵画として素晴らしいとみなしていました。
モローの作品の題材はほとんど神話や聖書からとられています。
なのでアカデミーの推奨するやり方に忠実なんですね。
f0197072_3381470.jpg

『ジュピターとセメレ』建築物や人物の細かな装飾がふんだんに描かれています。
でもこちらをご覧ください。
どちらかというと「世紀末芸術」と言うのにふさわしい、神秘的で暗くて退廃的な雰囲気が見られますよね。
アカデミーの歴史画にありがちな、威風堂々とした理知的で魂を奮い立たせるようなエネルギーはここから感じられません。

アカデミーのお手本通りの作品を作り続ければいいというような画家ばかりだったら、みーんな同じで芸術は停滞しつまらないものになってしまいます。
この時代は特に、お手本というものがあるけれど、そこから離れすぎず、いかに自分らしさ、オリジナリティーを出せるかというところで勝負しているのです。

あれだけアカデミーに関わったモローはやっぱり歴史画のお手本から出発しているけれど、時代の不安な空気も察知しつつ、自分らしい作品を作り続けて行ったのだと思います。
それがたまたま世紀末の時代精神とマッチして、のちに「象徴主義」ができたときに、ギュスターヴ・モローが先駆者だと言われたのではないでしょうか。

今のお話は私のひとつの見方でしかないのですが、とにかく、「**主義」というのは「主義」と名付けられるだけの実例があって初めて命名されるのだし、今の時点から過去にさかのぼるものですので、アカデミーにどっぷり浸かっていたモローが、アカデミーに反発して「象徴主義」をつくるぞー!と意識的にやったとは思えないのです。後から見た結果「象徴主義」の先駆者とみなされただけなのでしょう。

理屈っぽくなりましたが、それでは作品を観て行きましょう。
f0197072_3383116.jpg

『オイディプスとスフィンクス』彼が38歳のときのもの。ニューヨークのメトロポリタン美術館蔵だそうです。

こちらはナポレオン3世が買い上げたサロンで入選した作品です。怪物のスフィンクスが「朝は4足、昼は2足、夜は3足で歩む物は何か?」と未来の王になるオイディプスに謎掛けをする神話です。
確か答えは「人間」だったと思います。赤ちゃんがハイハイをし、その後は2足歩行、でも老人になると杖を使うので3本、という...。
ここに世紀末の雰囲気がどのように表れているかというと、謎が解けなかったらオイディプスは殺されてしまうという「死」に対する緊張感(実際答えられずに殺された人物の足が右下に見えます)。男性のオイディプスが妖艶な「エロス」を感じさせるところ。
背景がどんよりした「幻想的な空間」であるところ、でしょうか。

f0197072_3385048.jpg

『プロメテウス』こちらはモロー美術館で見ることができます。
43歳のときにサロンに出品したものの、酷評を受けてその後サロンにしばらく出品を拒否するきっかけとなった作品です。
土から人間を作ることができる巨人族のプロメテウスが火神から炎を盗んで人間に与えてしまったので主神の怒りを買い、鎖でつながれて肝臓を鷹に永遠についばまれるという神話です。
神話は神話でも残酷な話ですよね。
空の青さと対照的な険しい断崖絶壁に捕らえられて身動きできないプロメテウス。
彼はどこかをじっとみつめていますが、これから一生、こんな寂しい場所で邪悪な鷹に肝臓をついばまれていくしかないのです。
強い意志のあるまなざしやたくましい肉体がかえって、悲しい結末を予感させますね。

ちょっと長くなりましたので、来週もっと注目したいモローのオリジナリティについてお話しして行きたいと思います。

今回の画像はすべてWikipediaからお借りしました。


ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau
住所:14, rue de la Rochefoucaud
電話:0148 74 38 50
メトロ:12番線 Trinite または st-George
開館時間:10:00-12:45 昼休みをはさんで 14:00-17:15
休館日:火曜日
入場料:5euros (割引は3euros、18才以下と第一日曜日は無料)
美術館公式サイト
[PR]
by paris_musee | 2009-12-21 00:00 | 邸宅ミュゼ
モローの華々しい一生 ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau

日本では印象派絵画が絶大な人気を誇っていますが、意外と世紀末芸術なんかも人気があるような気がします。
私が昔働いていたアートショップでは、クリムトの『接吻』のアイテムが売れていたし、アール・ヌーボー(こちらは美術工芸の「世紀末芸術」と言えます)のエミール・ガレの花器なんかは結構日本のコレクションが充実していたりします。

ギュスターヴ・モローの人気はどうなのでしょうか?
実はパリのモロー美術館でも、日本語の作品解説パネルがあったり、日本語バージョンのカタログなんかもあって、小さい美術館なのに日本人の観客が多いんだなと思いました。
ルーヴルにもオルセーにも作品があるので、名前は知らなくても作品をご覧になったことがある人は多いのかもしれません。

先週「象徴主義」は権威的なアカデミーへの反発としておきた、とご説明しました。
でもギュスターヴ・モローという人は「象徴主義」の先駆者と目されているので、アカデミーに反発するどころか、人生の大半をアカデミーとともに歩んでいます。
f0197072_323485.jpg

ギュスターヴ・モロー若かりしときの自画像。モロー美術館に展示されています。
1826年。パリで建築家の父と母の間に生まれます。
8歳のときから絵を描きまくっていた絵画少年だったようです。
お姉さんが亡くなるとショックのあまり健康を害して名門の中学校を中退してしまいます。
15歳のときに初めてのイタリア旅行に出かけました。イタリアは当時芸術のメッカだったので、いろいろな刺激を受けたのでしょうね。
そしてパリに戻ると新古典主義の画家に師事し、ボザール(フランスの芸大)に入学します。
このボザールこそがアカデミーの総本山なんです。
23歳でローマ賞(優秀な芸術家をイタリアに留学させる制度)を逃してしまいボザールをやめるとルーヴル美術館で模写に励みます。当時のルーヴルにもアカデミーのお手本のような作品がたくさんありました。
25歳のときに、テオドール・シャッセリオーというサロンの常連の画家と出会いとても仲良くなり、ピガールにアトリエを借りて精力的に作品制作をします。

翌年ついにサロンに入選。そして現在の美術館の場所に両親が家を購入して家族で住みます。アトリエもこの家の最上階に構えました。
サロンに入選したことでやっと画家として認められたモロー。すでに画家として有名人だった親友シャッセリオーと一緒に社交界にも頻繁に顔をだしていたそうです。
しかし30歳のときにシャッセリオーが亡くなると、数ヶ月家に引きこもり、翌年からイタリアに旅立ちます。
ローマ、フィレンツェ、ミラノ、ヴェネツィア、ナポリで、アカデミーがお手本としていたミケランジェロやゲロネーゼ、ラファエッロなどの作品を模写しまくったそうです。
ちなみに、のちに「印象派」の画家として有名になるエドガー・ドガとイタリアで出会い、親交を深めます。
f0197072_329517.jpg

写真が小さくて見にくいですが、こちらがギュスターヴ・モローが住んでいたアトリエ兼住居。4階建て。現在はモロー美術館となっています。
36歳のときに父が死去。
それでも精力的に作品を制作し、2年後にサロンで再び入選。作品はナポレオン3世の買い上げとなり、翌年には皇帝自らコンピエーニュのお城にモローを招待するという光栄にあずかります。
しかしその後サロンに出品した作品が酷評をうけると、しばらくサロンに出品するのをやめてしまいます。
40歳で再びサロンに出品、レジオンドヌール勲章をもらい、1878年のパリ万博にも作品を出展しています。
57歳でまたもやレジオンドヌール勲章を授与されました。
画家としての成功を社会が認めた証拠ですよね。
58歳で最愛の母が亡くなります。
62歳のときにボザールアカデミーに入ることを許され、4年後に教授としてボザールで教鞭をとります。日曜日には生徒を家に呼んだりして、教育熱心な教授だったようです。ちなみにのちに活躍するルオーやマチスもそんな生徒のひとりでした。
1895年、結婚をしなかったモローは、自分の死後作品がバラバラになってしまうことを心配して自宅を大改造します。住居部分を大きなアトリエに改修して、作品をまとめたり選んだり、手を加えたりして晩年を過ごしたそうです。死後にモロー美術館として公開するために。
1898年、モローは72歳で亡くなりました。お葬式は近所のトリニテ教会、お墓はこれまた近所のモンマルトル墓地にあります。
f0197072_3235174.jpg

モローの自画像デッサン。モロー美術館には壁に特製のデッサン棚が作られていて、膨大な数のデッサンも観ることができます。
ざっと年代順に見てみましたが、「象徴主義」の画家と言われなければ、華々しくアカデミーとともに活躍した新古典主義の画家の一生と思うかもしれません。
ボザールを出てイタリア留学、サロンに入選、レジオンドヌール勲章を授与され、最後はボザールの教授としてアカデミーに返り咲きですものね。

でもアカデミーという権威と深く関わったモローだからこそ、世紀末に向かう不安な時代精神を感じつつ、神話や聖書を扱う歴史画のカテゴリーの中でのオリジナリティの模索というかたちで、モロー独自の「象徴主義」の萌芽ともとらえられるような作品が生み出されたのかもしれません。

ちょっとわかりにくい言い回しになりましたが、来週具体的な作品の解説とともにモローの立ち位置がこうだったんじゃないかなーという私の考えをお話ししてみたいと思います。

今回の画像はギュスターヴモロー美術館の公式サイト、およびWikipediaよりお借りしました。


ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau
住所:14, rue de la Rochefoucaud
電話:0148 74 38 50
メトロ:12番線 Trinite または st-George
開館時間:10:00-12:45 昼休みをはさんで 14:00-17:15
休館日:火曜日
入場料:5euros (割引は3euros、18才以下と第一日曜日は無料)
美術館公式サイト
[PR]
by paris_musee | 2009-12-14 00:00 | 邸宅ミュゼ
世紀末芸術って? ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau

フランスは地震がないせいか(地方によっては地震はあるそうです)、古い建物が今でも使われていたりします。
日本では「**の生家跡」という標識はよくありますが、フランスは生家だったり住んでた家だったりがそのまま残っていることが多いのです。
今回はアーティストが過ごしたおうちミュゼの中から、ギュスターヴ・モロー美術館をご紹介します。

ギュスターヴ・モローってご存知ですか?
活躍したのは19世紀後半。
ルーヴル美術館とオルセー美術館の両方に収蔵品がありますから、先週ご紹介したカミーユ・コローと年代は同じくらいでしょうか。

美術史としては「象徴主義」の先駆者と見なされています。
これはまだお話ししていないと思うので今回はまず「象徴主義」についてご説明したいと思います。
f0197072_3145083.jpg

イギリス人作家のオスカー・ワイルドが19世紀末に発表した『サロメ』という小説の挿絵。オーブリー・ビアズリーという画家です。
18世紀後期、19世紀初期フランスには「新古典主義」「ロマン主義」という大きな流れがありましたが、アカデミーを中心としたものでした。
その保守的なアカデミーに反発するアーティストが目指した方向として、ひとつは日本では大人気の「印象主義」(モネやゴッホが有名ですね)、もうひとつは「象徴主義」というスタイルがうまれます。
f0197072_3152490.jpg

現代のチェコ生まれ、フランスの世紀末に美術工芸のスタイル、アールヌーボーの作家として活躍したアルフォンス・ミュシャ。
ちょうどお隣のイギリスで「ラファエル前派」というスタイルがいち早く確立されていました。
これは、それまですばらしいとされてきた作品がイタリアルネサンスの巨匠であるラファエッロ的なものだったのですが、それ以前の中世の宗教的絵画や文学なんかをお手本にしよう!という運動です。
ラファエッロの特徴ががキッチリカチカチの「理性」「現実」だとすると、その反対の儚い「感性」「精神」「夢」なんかがもてはやされるのです。

21世紀になる前の1999年、まことしやかにノストラダムスの大予言が的中して地球が滅びるとか、コンピューターが制御不能になるとか、不安になるような噂がたちましたよね。
20世紀になる前の世紀末もまた、ロンドンでは切り裂きジャック事件が世の中を震撼させたりと社会不安がひろがり、ちょっとオドロオドロしいような世界観、儚い夢の世界、退廃的で神秘的なものなんかが文学でも美術でも市民権を得るのです。
f0197072_315719.jpg

この作品はご覧になった方が多いと思います。ウィーン世紀末芸術を代表するがかクリムトの『接吻』
こういった世紀末の不安を背景にして、ヨーロッパ中で「世紀末芸術」と総称できる(各国各グループでで呼び名は異なりますが)運動が起こったんですね。
大雑把に言ってしまえば、エミール・ガレもミュシャもクリムトもギュスターヴ・モローもウィリアム・モリスもロートレックもムンクもアントニオ・ガウディも「世紀末芸術」のアーティストに分類できます。

そんな「世紀末芸術」が描いたものは現実のリアルな世界というよりは、現実にはありえないようなちょっと暗い世界です。
「死」「夢」「神話(とりわけ悲劇的なシーン)」「幻想的な物語」「退廃」「絶望」「モンスター」「エロス」「アンニュイ」なんかがよく画面に表れます。
綺麗な原色よりはちょっとくすんだ暗い色が画面を支配します。
個人的には、見ていて元気がでるような明るい作品ではなく、ちょっと「どうしたのかな?」なんて心配になるような作品だと思います。

なんとなくわかっていただけたでしょうか?
そんな世紀末芸術、フランスでは特に「象徴主義」と言われる運動の先駆者と見なされているのがギュスターヴ・モローという画家です。
来週はモローの人生をクローズアップしてご紹介して行きたいと思います。

今回の画像はすべてwikipediaよりお借りしました。


ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau
住所:14, rue de la Rochefoucaud
電話:0148 74 38 50
メトロ:12番線 Trinite または st-George
開館時間:10:00-12:45 昼休みをはさんで 14:00-17:15
休館日:火曜日
入場料:5euros (割引は3euros、18才以下と第一日曜日は無料)
美術館公式サイト
[PR]
by paris_musee | 2009-12-07 00:00 | 邸宅ミュゼ