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マリー・アントワネットを訪ねて フランス革命 パート2 ーカルナヴァレ美術館ー Musée Carnavalet

先週はルイ16世一家が現在のチュイルリー公園にあった宮殿に幽閉されたところまでお話ししました。
王家のいなくなったヴェルサイユ宮殿からは、略奪を逃れた家具や彼らのものが新居に持ち込まれたので、
手狭になったとはいえ、まだまだ王族らしい生活は保たれていたのです。
そのときの革命の指導者たちも、王様はそのまま君主としていてもらうけれど、王権は憲法と議会によって制限されるという立憲君主制を目指していたのです。今のイギリスみたいな感じでしょうか。

でも王家と議会の間にいて、王に有利になるよう便宜を図ってくれていた人物ミラボーが死ぬと、
革命がもっと過激になっていくんじゃないかと危惧した国王は、
マリー・アントワネットの愛人とも言われていたスウェーデンの貴族フェルセンの「国外逃亡」のプランを実行するのです。
フェルセンは『ベルばら』でも主人公のひとりとしてクローズアップされているので、ご存知の方も多いかと思います。

小説でこの辺のくだりを読んでいると、ハラハラドキドキしてしまうのですが、結局この逃亡計画は失敗に終わります。
敗因はいろいろあるでしょうが、国王一家のプライドが邪魔してこの旅行が豪華で目立ってしまったのが原因のひとつです。
ワインに食事に衣装に馬車、どれもが不自由ないようにと配慮されて大荷物になってしまったんですね。
移動に時間がかかり、待ち合わせ場所に遅れるものだから、味方の軍や馬も待ちくだびれて帰ってしまう。
変装していたものの、あと少しの国境近くで国王一家だとバレて、非難轟々、罵倒され侮辱されながらパリに引き戻されるのです。

この国王の裏切りに擁護派の支持も失うと、外国が国王一家を救うためフランス国民軍と戦争を開始します。
フランス国民軍は負け続けます。
マリー・アントワネットがフランス軍の作戦を外国軍に漏らしていたからに違いないと疑われてしまいます。
そして国王一家はタンプル塔に移送されてしまいました。
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タンプル塔の絵。暗くて寂しい感じがしますが、もともとは貴族の邸宅でした
このタンプル塔、現在は3区の区役所とスクエア・タンプルという小さな公園になっている場所にありました。
カルナヴァレ美術館からも歩いていける距離。
おしゃれなブティックがある今一番若者に人気の場所を通るので、お散歩も楽しいです。

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タンプル塔の再現部屋。質素な家具に加えて照明もくらーくしてあるので、本当に寂しい感じがします
この塔の中がどんな感じだったのかは、カルナヴァレ美術館の一角に部屋の様子が再現されています。
普通の人の目にも質素と映る、小さくシンプルな装飾のベットや棚に囲まれて、家族でビリアードやゲームをして過ごしたといいます。
革命はどんどん激化していき、彼らの待遇も日に日に悪くなっていきます。

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家族と引き離された1ヶ月におよぶルイ16世の裁判が終わり、翌朝死刑となります。最後に家族と会うことが許され、ルイ16世は息子に「私を死刑にした人を恨んではいけない」と声をかけます
この展示室には、革命裁判にかけられてルイ16世との最後の別れのシーン、息子を引き離されて号泣するマリー・アントワネット、夫が死んで喪服を着ているマリー・アントワネット、断頭台に上るルイ16世などの絵画が展示してあります。
マリー・アントワネットの髪の毛が入ったアクセサリーなんかもあります。
1793年の1月に、現在のコンコルド広場でルイ16世はギロチンにかけられます。

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ルイ16世の死後、マリー・アントワネットは寡婦として質素な喪服をつくってもらいます。37歳のマリー。疲れはて過去の優美さはなくなってしまいました。でも裁判、死刑執行の日まで元王妃としての落ち着きと品位は失いませんでした
その後、マリー・アントワネットも裁判にかけられるため、シテ島にあるコンシェルジュリーという当時の牢獄に入れられ、人生で一番惨めな環境の中でも威厳を保ちながら毎日を過ごし、10月に夫と同じ場所で処刑されました。

革命はその後も終わらず、主導者が出ては旧体制のリーダーがギロチンにかけられることを繰り返して、ナポレオン・ボナパルトの台頭によってようやくフランスは平穏な日を迎えました。

ちなみにルイ16世とマリー・アントワネットの遺体は処刑当時は他の処刑者と一緒にされていましたが、現在ではパリ北郊外にあるサンドニの大聖堂の地下にきちんと葬られています。

いかがでしたか?
急ぎ足のフランス革命になってしまいましたが、実際の革命もあれよあれよと言う間に体制が変化して、その荒波にもまれて王と王妃は処刑されてしまったのです。
残った幼いルイ17世はタンプル宮で死んでいるのを発見されるのですが、「死んだのはニセもので、ルイ17世は逃亡してた」という噂が後を絶たず、自称ルイ17世がたくさん名乗り出たそうです。
でも最近DNA鑑定でタンプル宮で亡くなったのが本物のルイ17世という結論になり、歴史マニアをワクワクさせたミステリーに終止符がうたれました。

ちなみに明日、7月14日はフランス国家祭典である「革命記念日」です。
王権を打倒して、現代に続く市民社会を築くことになったフランス革命を記念したお祭りです。
革命の舞台シャンゼリゼ通りとコンコルド広場にかけて行われるフランスが誇る陸、海、空の軍隊パレードが朝からテレビ中継され、
夜にはエッフェル塔のそばで華やかな花火大会があります。
ちょっと歴史を知っていると、こんなお祭りも少し複雑な思いがしてくるから不思議です。
それではまた!

カルナヴァレ美術館Hôtel Carnavalet 

23, rue de Sévigné
75003 Paris
電話 : 01 44 59 58 58
Fax : 01 44 59 58 11
メトロ Saint-Paul(1番線) Chemin vert(8番線)
開館時間 10時から18時(レジは17時半で閉まります)
休館日 月曜日、祝日
入場料 常設展示 無料 /企画展示 4.5ユーロ(18歳以上26歳未満は3.8ユーロ)

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by paris_musee | 2009-07-13 00:00 | 邸宅ミュゼ
マリー・アントワネットを訪ねて フランス革命 パート1 ーカルナヴァレ美術館ー Musée Carnavalet

また悲劇の王妃のお話に戻ります。
マリー・アントワネットを語るとき、
彼女の人生の後半をさけて通ることができません。
自由奔放と浪費の代償とも、
革命の嵐に飲み込まれた犠牲者ともとらえることができますが、
あまりにドラマティックで壮絶な最期を迎えた彼女の人生は、
他の歴史にも例がないほど残酷でした。

そんな悲劇のヒロインの顛末を知るには、
前にもご紹介したマレに位置するカルナヴァレ美術館がオススメ。
以前「貴族のおうち」ということでご紹介したミュゼです。
パリの歴史博物館ともいうべきこのミュゼの2階(日本式の3階)は、
フランス革命に関する資料がたくさん展示してあります。
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フランス革命の始まりとされる7月14日のバスティーユ牢獄襲撃の絵

フランス革命史は研究が進んでいるのでどこまでも細かく説明できてしまう分野だと思いますが、
(もちろん私は専門家ではないので、詳しく説明することができませんが)
できるかぎりサラっとわかりやすく展示品を交えてご紹介できればと思います。

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フランス革命の展示室。この石膏像は、王権に有利なように憲法を作ると国王に密約していたミラボーさん。借金が多くて女遊びがひどかったんですが、国王一家はこの人にたよらざるを得ない状態でした

マリー・アントワネットや王侯貴族が退屈な毎日をハデに遊んでヒマつぶししているとき、
天候不良による凶作とたびかさなる増税が相まって、
農民たちは日々の糧であるパンすらも食べられない生活を余儀なくされていました。
ヴェルサイユの乱痴気騒ぎは風刺新聞などにより誇張されて人々の知るところとなっていたので、
貧困への怒りの矛先は、当然ヴェルサイユにむけられるのです。

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ダヴィットによる絵画。中央で本(宣誓文)を読んでるのが後にパリ市長になるバイイさん
政治的には、300年ほど開かれなかった平民身分の代表も含む議会の招集が決定するのですが、
貴族や僧侶身分のみ集まって、平民を閉め出してしまいます。
そこでヴェルサイユ宮殿の敷地内にある「ジュー・ドゥ・ポウム」(球戯場)に集まって
「平民の権利が認められるまで一致団結するぞー!」と宣言をするのです。
これが世界史の教科書でもおなじみの『テニスコートの誓い』です。
よく貸し出してしまっているのですが、カルナヴァレ美術館の所有で運がよければ見ることができます。

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この展示室には襲撃に使われた武器やバスティーユ牢獄のマスターキーなども展示されています
そして7月14日のバスティーユ牢獄の襲撃。
この爆撃されたバスティーユ牢獄の破片で作られたミニバスティーユ牢獄が展示されています。
今では雑貨屋やセレクトショップ、おしゃれなカフェやレストランが立ち並ぶ若者の街になっているバスティーユですが、
ここにあった牢獄を平民たちが襲撃したことで、フランス革命がフランス全国に飛び火します。
ちなみに現在、毎年7月14日はフランスのお祭りの日となっています。
パリ祭と日本では呼ばれていますが、昼は軍事パレード、夜はエッフェル塔の大花火大会と賑やかな一日となり、
この日を境にパリジャンは長い夏のヴァカンスムード一色となるんです。

ソフィア・コッポラの映画『マリー・アントワネット』はこの場面で終わるのですが、
農民、主に家計を預かる女性がパリからヴェルサイユ宮殿まで抗議の行進をします。
「私たちと一緒に逃げてください」という臣下の声を振り切って、
ルイ16世一家はヴェルサイユ宮殿に残ってしまうのです。
怒り狂った農民たちは、ホンモノのマリー・アントワネットの美しさにしばし戦意を喪失しますが、
翌朝、宮殿を守る近衛兵を殺して宮殿に乗り込みます。
そして王様一家は長年住み慣れたヴェルサイユ宮殿を離れ、農民たちにパリへ引き渡されてしまうのです。
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これは「人権宣言」。最初ルイ16世はこの採択を拒否するんですが、革命が進むにつれて承認しなくてはならなくなりました

ヴェルサイユ宮殿の次に彼らの家となったのが、今のチュイルリー公園内にあったチュイルリー宮殿。
(ルーヴル美術館の建物ではなくて、のちに壊されました)
荒れ果てたこの宮殿を急遽リフォームして、なんとか王家の居室となりました。
この時点では庭を散歩したり、人を招いたり、郊外の離宮へ外出したりと、
かなりの自由が認められていたそうです。
それでも絶対王政は崩れ、国民議会の監視下に置かれていたので事実上の幽閉でした。

1789年に次々とこのような事件が起きて、ルイ16世とマリー・アントワネットの生活はガラリと変わります。
その後少しだけ革命は小康状態になるんですが、ご存知の通りまだまだ彼らには試練が待ち受けているんですよね。
では続きは来週また!


カルナヴァレ美術館Hôtel Carnavalet 

23, rue de Sévigné
75003 Paris
電話 : 01 44 59 58 58
Fax : 01 44 59 58 11
メトロ Saint-Paul(1番線) Chemin vert(8番線)
開館時間 10時から18時(レジは17時半で閉まります)
休館日 月曜日、祝日
入場料 常設展示 無料 /企画展示 4.5ユーロ(18歳以上26歳未満は3.8ユーロ)



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by paris_musee | 2009-07-06 00:00 | 邸宅ミュゼ
マリー・アントワネットを訪ねて ヴェルサイユ宮殿 ー王妃の村里ー Chateau de Versailles
先週はプチ・トリアノン宮殿をご紹介しましたが、今回はマリー・アントワネットの離宮コースのその他の場所をご紹介します。

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★フランス式庭園 Jardin francais★
プチ・トリアノン宮殿のまわりにあるのが、幾何学的に剪定されたお庭。
いろんな花が咲いていて、マリー・アントワネットが大好きだったバラの花も植えられています。
もともとは羊がいたりしたのですが、ルイ15世がフランス式庭園に作り替えさせたのです。

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★パヴィヨン・フランセ Pavillon francais★
フランス式庭園の奥にあるのがこの八角形の建物。
遊びと軽食をとるための建物で、中央にはグリーンと金の装飾が豪華なサロンと、脇に衣装部屋や暖房室などが置かれています。

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★王妃の劇場 Theatre de la Reine★
建物はまあまあ大きいのですが、見学できる(中には入れません)観客席と舞台は本当に小さくて可愛らしい!
外装、玄関ホールはシンプルですが、ブルーと金のゴージャスな装飾です。
オペラが大好きだったマリー・アントワネットは自らこの舞台に立って、選りすぐりのお友達だけを招待しました。

ここで、プチトリアノンの方まで引き返して、池の方へ進みましょう。
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★岩 Rocher★
上から水が滴り落ちる構造の大きな岩です。
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★ベルヴェデーレ Belvedere★
夏に涼むため、音楽鑑賞をするための八角形の、ドームを頂く建物。
池のそばの丘に建てられ、4つの階段にスフィンクス像が置かれています。
中は白と茶色で音楽をテーマにした模様が描かれています。
★洞窟 Grotte★
ベルヴェデーレを背に左側の茂みの中に入って行くと、Grotteの表示があります。
その突き当たりに小さな洞窟が。
場所が分かりにくい上に、足下もガタガタしているので注意してください。
でも内部はなにもありません。ちょっと拍子抜け?
王妃はあんなドレスを着て、ここにたどり着くことができたのでしょうか??

★温室 Orangerie★
Grotteを出て少し広い道にでたら左に曲がって直進します。
見えて来た建物がOrangerie。
その周辺はかなり広いお庭になっていて、庭師が住み込みでいろいろな植物の研究をしていたそうです。
ルイ15世の時代、ヴェルサイユでは4000種以上の珍しい植物や野菜、果物を世界各国から集め、世界でもトップクラスの研究機関になっていたそうです。
その植物たちはその後、パリの植物園にも運ばれて研究が続けられています。

★イギリス式庭園 Jardin anglais★
フランス式庭園が幾何学的に剪定したりして、自然を人工的に形作るのに対し、自然そのままにさまざまな植物を植えるのをイギリス式庭園といいます。
とっても広大なイギリス式庭園(というか野原)があり、向こうの方に茶色い建物が見え隠れしています。
ここにあるのは人工的につくった川や池です。
フランス王妃であるマリー・アントワネットはイギリス式庭園をも「人工的に」形作ったのですね。

さて、子供が産まれてからのマリー・アントワネットは、それまでの浪費癖を改め、ナチュラルでシンプルな生活を始めます。
当時フランスではジャン・ジャック・ルソーという思想家が謳った「自然回帰」が流行っていて、マリー・アントワネットも自然と共存する生活に憧れました。
そして作らせたのが王妃の村里、アモーです。
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★農家 La ferme★
え?ヴェルサイユ宮殿に??と驚いてしまいますが、マリー・アントワネットが作らせた村里には、実際の農民を住まわせた農家があります。
その周りには今でも牛やニワトリ、ガチョウ、クジャク、ブタなどが飼育され、ブドウ畑や野菜畑などがあります。
搾りたての牛乳、生みたての卵、とれたての野菜、ここで収穫された食物がヴェルサイユ宮殿の食卓に上ることも多々あったそう。
今では親子連れの楽しい散歩コースになっています。

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★王妃の村里 Hameau de la Reine★
池の周りに集まっている藁葺きの建物は、マリー・アントワネットの田舎遊びごっこのために作られたものです。
池に船を浮かべて粉挽き水車が回るのを眺めたり、高台から村里の様子を見下ろしたり、鳩小屋や乳製品を搾乳場もあります。
ビリヤードをする場所、王妃の家、女中の家、護衛の家など、彼女の生活に必要なものも田舎風にしてここに置かれました。
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マリー・アントワネットはコルセットをキツくしめたシルクのドレスを脱ぎ捨て、柔らかいモスリンのドレスに麦わら帽子という格好で、この村里でサービスされる新鮮な牛乳を飲んだり、池に浮かべたボートに乗ったりしていたそうです。
彼女の描く理想の田園風景、田舎生活がここにありました。
幼少のころの家族と避暑地に出かけ緑の中をかけずりまわって自然と戯れた懐かしさを、このアモーで感じていたのかもしれません。
でも国民がリアルにこれ以上に貧しい生活を強いられている時に、あえてこのような質素な田舎遊びに莫大な税金を費やしたことは、
いかに彼女たち王侯貴族が世間離れしているかわかりますよね。
この中の家はどれも内部が見学できませんが、200年前の最新のテーマパーク、結構楽しめます。
貴族がこういったニセの村里で疑似田舎生活体験をするのが当時の粋な遊びでした。
中にはみずから農民のような衣装に身を包んで肖像画を描かせた人もいますが、
王妃は農民たちがそういった生活をしているのを外から眺める傍観者どまりだったそうです。

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★愛の殿堂 Temple de l'Amour★
12本の柱に支えられてドームを頂いたギリシャローマにありそうなクラシカルな建物です。
王妃の寝室から見えたのがこれ。
中央にキューピッド像があるのでこの名が付けられました。

いかがでしたか?
王妃の村里まで歩くと結構な運動になりますが、天気がよかったら是非ハイキングのつもりで回ってみてください。
何もかも与えられて不自由ないはずの王妃ですが、きっと足りないものがあったんでしょうね。
それを埋めるようにプチトリアノンにこもって、お気に入りしか出入りを許さず、田舎遊びに興じていたのかもしれません。
マリー・アントワネットが何を考え、何を感じてこの離宮を作らせたのか、ここを歩いているとなんとなくわかる気がします。


Château de Versailles 公式サイト(日本語)

住所:Place d'Armes
78000 Versailles
電話 :33 (0) 1 30 83 78 00
最寄り駅:RER C線Versailles-rive-gauche-château下車
開館時間:
 ヴェルサイユ宮殿 9:00から18:00まで  毎週月曜日休館 
 プチトリアノンおよびマリーアントワネットの離宮 12:00から18:00まで (基本的に休館日なし)
 グラントリアノン 12:00から18:00まで (基本的に休館日なし)
   *冬期営業時間は少し短くなります。サイトでご確認ください。

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by paris_musee | 2009-06-15 00:00 | お城ミュゼ
マリー・アントワネットを訪ねて ヴェルサイユ宮殿 ープチ・トリアノン宮殿ー Chateau de Versailles
先週はコンピューターが壊れてしまって更新ができませんでした。ごめんなさい。
今日こそヴェルサイユ宮殿のプチトリアノン宮殿のお話です。

マリー・アントワネットはオーストリアのハプスブルグ家とフランスのブルボン家の政略結婚のために、
わずか14歳でヴェルサイユ宮殿にやってきます。
自由奔放に育てられおてんばだったマリー・アントワネットは、
フランスの伝統儀式でがんじがらめの生活が窮屈だったといいます。
世継ぎを産むのが仕事なのに、旦那のルイ16世は錠前作りと狩猟と食べること以外に興味はなく、
結婚後7年も子供が産まれませんでした。
ルイ15世が亡くなると若いマリー・アントワネットやルイ16世に実権が移り、
彼女にとってわずらわしい人物や慣習はヴェルサイユ宮殿から姿を消します。
子供が産まれないプレッシャーからか、マリー・アントワネットは賭け事やファッション、仮面舞踏会などにハマっていくんです。
こういったことが「浪費家マリー・アントワネット」というイメージダウンへつながり、
革命時には取り返しのつかないことになってしまいました。

やっと子供ができるのですが、残念ながら女の子。
でも母になったことで責任感が生まれたのか、享楽的な遊びは減り、
当時流行っていた「自然回帰」のナチュラルでシンプルな生活に変化します。
その変化の舞台になったのが、マリー・アントワネットの離宮という見学コース。

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外観はすごくシンプルなプチ・トリアノン宮殿
今回ご紹介するプチ・トリアノン宮殿はこの中にあります。
ルイ16世が「君は花が好きだね。僕は君に花束をあげよう、ほら、プチトリアノンだ」と結婚のお祝いにプレゼントしてくれたのだそうです。

実はこの宮殿は2008年に修復されたばかりなんです。
この修復でマリー・アントワネットが使用していた当時とほぼ同じ寝室、家具、使用人の部屋や絵画装飾品が再現されたので、
是非新しくなったプチ・トリアノンまで足をのばしてみてください。
ヴェルサイユの宮殿からは敷地内の公園に向かって右斜め上方向です。
かなり離れていますので、園内を周遊しているプチトランに乗るとラクチンです。
移動距離は1.5キロ、25分かかると書いてありますが、もっとかかるように感じるので覚悟してくださいね。

ここはもともとルイ15世が愛妾ポンパドール夫人のために作らせたのですが、完成を見ぬまま夫人が死去、
その後も彼の次の愛妾デュバリー夫人などが使用していました。
ルイ15世の死後、ルイ16世からマリー・アントワネットにプレゼントされたのです。
プチトリアノンは建てられた時期もロココから新古典主義に変わる移行期で、
外観も内装もマリー・アントワネットの趣味に合ったシンプルですっきりとした新古典主義の様式になっています。

建物は3階建てで上から見ると正方形の形をしています。
この1階(日本式2階)にあるのは控えの間、大食堂、小食堂(ビリアード部屋)、音楽のサロン(マリーアントワネットがお気に入りの友達と過ごしたばしょでもあります)、王妃の寝室。
ヴェルサイユの大宮殿からすると装飾も控えめで部屋も小さく、落ち着いて友達とおしゃべりができそうな親密な空間になっています。
2階(日本式3階)には控えの間、ルイ16世の寝室、書斎、そして他の家族やお客さん用の部屋が用意されています。
残念ながら2階は一般公開されていません。

順路通りに進んで行きましょう。
入り口を入るとすぐ左にお土産屋さん、インフォメーションと続き、ロの字になった中庭に出ます。
すぐ左がチャペル。とってもシンプルです。
その後入場料を払って(インターネットでチケットを買った人はその列をムシして)、いよいよプチトリアノン内部へ。
(チケット売り場の先、左側にお手洗いがあります)

★護衛の間 Salle de Gardes★
当時はガードマンの棚や簡易ベットやマットレス、毛布なんかが置いてあったそうですが、
今はルイ17世になるはずだったルイ・シャルルが使っていたゆりかごや、
子供の頃のマリー・アントワネットの絵画が飾られています。
この絵画、1765年に彼女の兄、ヨーゼフ2世が結婚した時のウィーンのシェーンブルン宮殿での様子を、10年以上たった後にマリー・アントワネットが描かせたものだそうです。
プチトリアノンの食堂に飾っていました。
暖炉の上の石膏像は、このプチトリアノンを設計したジャック・ガブリエルさんです。

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MとAの文字が重なってるの、わかりますか?これがマリー・アントワネットのマークです
★階段広間 Escalier★
錬鉄に金を施した美しい手すりの階段があります。
この手すりの模様、王家を表す百合の紋章とマリー・アントワネットのマークMAがデザインされています。

その奥は給仕係のためのお部屋が続きます。
銀食器やセーブル焼のお皿を展示してある部屋、食べ物を温めるための部屋Recahuffoirなどです。

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この絵を描いた肖像画家は、マリー・アントワネットの表情をとてもよく描くので彼女のお気に入りの画家だったといいます
また階段のところに戻って上にあがりましょう。上がったところの壁にメデューサのレリーフがあります。
★控えの間 Antichambre★
こちらの部屋には、大理石の像がふたつあります。
向かって右がマリー・アントワネットのお兄さんのヨーゼフ2世、左が旦那様で国王のルイ16世です。
置いてあるふたつのテーブルはマリー・アントワネットのもの。鹿の脚になってるのもありますね。
掛けてある絵画ですが、エリザベス・ヴィジェ・ル・ブランという女性画家に描かせた『バラを持つ王妃』。
とても美しく描かれていて、本人も大のお気に入りの絵でした。
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ほぼすべての部屋に共通する、薄ーいグリーンと白の壁の飾り(ボワズリーといいます)。
プチ・トリアノンのコンセプトカラーになっています。
モチーフも花と果物で女性らしいボワズリーですよね。

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とっても大きな絵画が4枚、この部屋には飾られています。
★大食堂 Grande salle a manger★
この大きな部屋はルイ15世が食事をした食堂です。
暖炉の上にはセーヴル焼きのマリー・アントワネット像が。
ルイ16世時代のシャンデリアも豪華です。
壁にかかっているのは、『漁』『収穫』『猟』『ブドウの収穫』がテーマになった4枚の絵画。
食堂では食にちなんだ絵画を飾るのが常でした。
ちなみに、この部屋には一瞬で食事を出現させてしまう魔法のテーブルが完成するはずだったのですが、お金がかかりすぎて断念。
0階から食事の乗ったテーブルをここまで持ち上げる機械仕掛けだったのです。

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ポンパドール夫人の肖像画と暖炉
★小食堂 Petite salle a manger★
大食堂に続くのが、小食堂。マリー・アントワネットはここをビリアード室としても使用しました。
ここにあるテーブルや椅子は、彼女が作った村里(来週ご紹介します)の食堂に置いていたものです。
壁にかかっている絵画はロココの女王とも言われる、ルイ15世の愛妾ポンパドール夫人と、ルイ15世の肖像画です。

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★お供の間 Salon de compagnie★
マリー・アントワネットが仲のいい友達とゲームや音楽を楽しんだ、プチトリアノンのメインとなるお部屋。
ピアノやハープが置かれています。
使われているファブリックは18世紀の国王のお城では常連の、リヨン産3色のダマスクス織り。
肘掛け椅子、碁盤目状のテーブル、ランプ、はマリー・アントワネットのもの。
飾ってある絵画は「変身」がテーマのものです。

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とても小さな部屋ですが、愛の殿堂やお庭がきれいに見えるし、くつろげる暖かい雰囲気のファブリックです
★寝室 Chambre a coucher★
ルイ15世の最後の愛妾デュ・バリー夫人と、その後マリー・アントワネットが使用した寝室です。
マリー・アントワネットは家具などを新調し、稲穂をモチーフにしたシンプルで自然をイメージしたものに作り替えています。
ベットは当時のものではありませんが、マリー・アントワネットを彷彿とさせるファブリックが使われています。
マホガニー製の宝箱は彼女のもの。
窓からお庭に作られた「愛の殿堂」が見えますよね。

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かなり大きなビリヤード台と王室一家の肖像画のシンプルなお部屋
また階段を下りて出口手前の左の部屋に入ります。
★ビリヤードの間 Salle de billard★
ルイ15世のビリヤード台があります。マリー・アントワネットはビリヤードの部屋を1階の小食堂に移動しました。
ここにもマリー・アントワネットの石膏像があります。
壁にかかっているのはルイ16世とマリー・アントワネット国王一家の1781年当時の肖像画です。

いかがでしたか?
オーストリアでのびのびと育ったマリー・アントワネットが、
誰でも入って来れていつでも人目に晒される儀式ばかりのわずらわしいヴェルサイユ宮殿を離れて
安息を求めたのがここプチ・トリアノン宮殿。
王のルイ16世でさえも、彼女の招待がなければこの宮殿に入ることは許されませんでした。
自分の大好きな友達だけを集めて、音楽を聴いたり、ビリヤードを楽しんだり、お茶をしながらおしゃべりしたり、
親密で心から安心できる時間を過ごしていたのでしょうね。


Château de Versailles 公式サイト(日本語)

住所:Place d'Armes
78000 Versailles
電話 :33 (0) 1 30 83 78 00
最寄り駅:RER C線Versailles-rive-gauche-château下車
開館時間:
 ヴェルサイユ宮殿 9:00から18:00まで  毎週月曜日休館 
 プチトリアノンおよびマリーアントワネットの離宮 12:00から18:00まで (基本的に休館日なし)
 グラントリアノン 12:00から18:00まで (基本的に休館日なし)
   *冬期営業時間は少し短くなります。サイトでご確認ください。

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by paris_musee | 2009-06-08 00:00 | お城ミュゼ
マリー・アントワネットを知ろう! 
先月日本に一時帰国していました。
その時に絶対に買おう!と思っていた本が、『ベルサイユのばら』です。
70年代に発表され、その後も代々読み継がれているという不朽の名作マンガですよね。
実は今回、初めて読ませていただいたんです。
すごく読み応えがあって面白かった!全5巻を数時間で読破しちゃいました。

マリー・アントワネット。
あまりにも有名な彼女の波乱に富んだ人生は、昔からアーティストたちの格好の主題となってきました。
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こちらが角川書店バージョン
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こちらが岩波文庫バージョン
一番最初に彼女の人生を小説にしたのは(あるいは現在も読まれているの最も古いものは)、1933年にステファン・ツヴァイクが書いた『マリー・アントワネット上下』。
その後のほぼすべてのアントワネットものの作品のたたき台になっているのが、この作品ではないでしょうか。
ここに描かれているエピソードが、他の作品にちょこちょこ使われています。
私は岩波版を持っていますが、岩波らしくちょっと硬派な文体です。
小説というより歴史書みたいな感じ。ドキドキしながら読み進めるというより、淡々と事実を追う感じです。

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こちらは小説なのでかなり読みやすいですよ。
日本の作家、遠藤周作も『王妃マリー・アントワネット上下』(新潮文庫)を描いています。
これは少しフィクションが付け加えられていて、庶民出身の貧しい架空の女性と王妃のコントラストが特徴的です。
庶民の登場人物がいることで、フランス革命とマリーアントワネットの関係がどのように絡んで行くのかがわかりやすく描かれています。

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こちらは註や図版も豊富でとても読みやすいです
イギリス女性作家のアントニア・フレイザーも『マリー・アントワネット上下』(ハヤカワ文庫)を女性の視点で描いています。

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こちら、もうご覧になりましたか?実際にヴェルサイユ宮殿を貸し切って撮影がなされ、ラデュレのスイーツにパステルなドレス、史実をかなり今風にアレンジした乙女趣味のかわいい映画です。
この作品が原作となって、ソフィア・コッポラ監督の『マリー・アントワネット』という映画が作られました。
映画は上巻だけを映像化していて、王妃の悲劇は描かれていません。
フランス人の友達の間では、「アメリカ人監督がフランスの歴史を映画化するなんておこがましいけど、せめてもの救いはアメリカ人にフランス革命の暗部を描かれなくてよかった」といったものでした...。

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こちらは大人買いができるボックス売り!
そして池田理代子によるあの有名な『ベルサイユのばら』。
この作品もオスカルなど架空の人物が登場して話を盛り上げていますが、基本のエピソードはツヴァイク本に忠実です。
でもやっぱりフランス革命において庶民がどうだったのか、という視点が入っていて、スピード感とリアリティのある作品に仕上がっています。
またこれがモトとなって宝塚歌劇団などもミュージカルを上演していますよね。
本国フランスでも『Lady Oscar』というタイトルで翻訳され、79年にはテレビでも放送されるほどの人気でした。
フランス文化の日本への紹介という点でも彼女の功績が評価され、今年フランスからレジオンドヌール勲章シュヴァリエ賞を授与されています。

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コッポラ映画の影響か、昨年、パリのグランパレという会場で『マリーアントワネット』展が開かれました。
私は会期終了間際に行ったのですが、なんと2時間待ちの長蛇の列。
炎天下の中、初老のマダムやムッシューらとともに待ち続け、やーっと中に入ることができましたがかなりの混雑。
フランスで初めて、上野の森の企画展に匹敵するほどの混雑した美術鑑賞でした。
マリー・アントワネット、やはりフランス人の間でもいまだに大人気です。
企画展ですので写真撮影はできませんでしたが、目の前に展示されている彼女にまつわる肖像画やドレス、宝飾類、使用していた家具、小物、どれもが強烈な存在感を放っていました。
小説などを読んだ後だったので、そういった作品のエピソードに出てくる展示品の数々を目の当たりにでき、彼女の壮絶な人生が急に現実味を帯びて来て恐ろしくも感じました。

ここに挙げたすべての作品に共通しているのが、2部構成になっていること。
前半は享楽的で退廃的とさえいえる豪華絢爛な王室のあきれた日常が描かれ、
後半はフランス革命が進む中、民衆のおさえようのない怒りのはけ口として批判と屈辱にさらされるオーストリア女の悲劇が描かれているのです。
展覧会でも、前半は壁の色が明るかったり、オーディオガイドからは楽しい音楽が流れて来たりしていたのですが、後半は打って変わって暗い室内にぼーっと浮かび上がる作品群、とても寂しい雰囲気の展示になっていました。

正直、前半はいいけど、後半は読みたくない、観たくない、という感じです。
私がコッポラの映画が好きなのも、後半が描かれていないから、というのがあるかもしれません。
後半の史実を直視するのは毎回勇気がいるほど心が痛みます。
フランス革命はある意味、本当に残酷でした。
毎年7月14日にフランス革命の成功を祝した盛大なお祭りがあるのですが、華やかな軍隊パレードやエッフェル塔にうち上がる美しい花火なんかを見ると、ちょっとだけ複雑な気持ちになってしまいます。

マリー・アントワネットおたくでなくても、フランス革命マニアでなくても、フランスに旅行に来るときにちょっとしたエピソードがわかっていると2倍楽しめる観光名所がたくさんあります。
来週から、マリー・アントワネットにまつわるスポットをエピソードとともにご紹介して行きたいと思います。
もしお時間と興味があったら、上に挙げた作品を鑑賞してみてくださいね。
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by paris_musee | 2009-05-11 00:00 | その他
<誤解されるマリー? musée des arts décoratifs>

今日はちょっと細かい様式のお話しになります。

日本でもっとも有名なフランスのお姫様と言えば、マリー・アントワネットですよね。
ソフィア・コッポラの映画『マリー・アントワネット』でも、おしゃれが好きでエピキュリアンなティーンエイジャーとして描かれていました。
そんな浪費家のイメージが強いせいか、マリー・アントワネット=ロココの王妃という印象がありますが、厳密にいうとロココ時代とマリーの生きていた時代はちょっとズレがあります。

ロココは1730年代、好色家のルイ15世の愛人だったポンパドゥール夫人が好んだ、曲線とアシンメトリーを多用した軽妙洒脱なデコラティブなスタイルです。
ルイ14世が愛した荘重なバロック様式が男性的だったのに対し、ロココ様式は女性的でちょっと享楽的な雰囲気がありました。
例えば机や椅子の脚がクルリと丸くなっているのが猫脚と呼ばれる、ロココの特徴のひとつであったりします。
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ロココは椅子の脚だけじゃなく全体的に丸みを帯びています。

ではマリー・アントワネットの愛したスタイルは何と呼ばれるのか。ルイ16世様式とか新古典主義とか言われます。
1775年あたりから、ポンパドゥール夫人が好んだロココはちょっぴり時代遅れとなり、華奢だけれど直線や幾何学模様を多用したスタイルをマリー・アントワネットは好みました。
ポンパドゥール夫人の死後与えられたプチトリアノン宮殿(ヴェルサイユ宮殿の離れです。ここも最近改装工事が済んでリニューアルされました)では、流行遅れでダサいロココの家具を全部一掃してマリー好みの新古典主義に大幅改装されたほどです。
ギリシャ、ローマの古典をモチーフにし、猫脚はだんだん姿を消して、ギリシャ建築の柱を思わせる溝の入った円柱が家具の脚に多用されました。
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こちらの脚は直線的で先が細くなっており、縦に溝が入っています。

装飾美術館の階段を上がると4階はロココ時代のかわいらしくも華美な装飾のソファやコモードの展示室になります。
そして次の部屋にマリーの時代の家具が展示されています。
この2つの部屋を比べると、後者は本当に質素にうつります。
それが、浪費家でフランス王宮を破滅させたと言われているマリーが愛した様式であるのが皮肉ですよね。
実際にはポンパドゥール夫人の時代にはフランス経済はすでに破綻していて、不幸にもマリー・アントワネットとルイ16世が全ての責任をとった、というところでしょうか。
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ちょっと極端な対比ですが、ゴテゴテしてるのがロココ時代の家具、スッキリしているのがルイ16世時代の家具。

ちなみに、いろいろな本を読むと、ちまたの悪いイメージとは裏腹に潔く竹を割ったような性格のマリーが描かれているものが多いのに気づきます。
ルイ16世に寵愛を持たせなかったこと、7年の長きに渡って子供ができなかったこと(このストレスで浪費に走ったと見るむきもあります)もあり母となってからは浪費はピタっとやめて子育てに専念したこと、そして息子虐待の濡れ衣を着せられた最後の裁判での母としての勇ましい姿など、今までのイメージを覆す逸話がたくさんでてくるのです。

こういう話をあわせて華美な装飾のないシンプルな新古典主義の部屋を見ると、誤解の多いマリー・アントワネットの本当の姿が目に浮かんで来るかもしれません。
私も自分が暮らすのならロココよりルイ16世様式の方がシンプルで好きかな。
というわけで、これからはマリー・アントワネット=新古典主義でお願いします。


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by paris_musee | 2008-10-27 00:00 | テーマミュゼ