パリにあるとっておきミュゼをご案内します
by paris_musee
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さすがは本場、充実のフランス絵画 パート5 ルーヴル美術館 リシュリュウ翼+シュリー翼2e(3階)


今回はフランス絶対王政の最盛期の絵画についてお話ししたいと思います。
ときは17世紀中頃から18世紀はじめ、舞台はヴェルサイユ宮殿、主人公はルイ14世です。
とにかくルイ14世は絶対的な権力を手にし、国土を広げ、フランスをヨーロッパの強国にしました。
そんな彼を太陽王と呼んだり、ギリシャ神話における全知全能の神ゼウスの息子アポロンになぞらえたりしています。
ヴェルサイユ宮殿もものすごく広大でありながら、それをルイ14世中心に機能させる建築物の配置や細かな儀式がとりきめられたりしています。

ヴェルサイユのイメージをどこかでご覧になった方は何となく雰囲気がわかるかと思いますが、
この時期のアートの特徴は「絢爛豪華」のひとことで言い表すことができます。
威厳を表すことのできる雄々しいモチーフ(太陽、獅子、アポロン、武器)を使ったり、金色を多用したり、絵画や彫刻ならばとても大きいものが好まれました。
パっと見たときに「おぉ!」と驚いたり、「強そう!」と感じるものが多いですね。
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シャルル・ルブランのお部屋。手前にいる外人さんと比べてもとーっても大きいことがわかると思います
さて、ルーヴル美術館にあるルイ14世時代の絵画の代表と言えば、シャルル・ルブランのものでしょうか。
ルイ14世のライバルだったニコラ・フーケのヴォー・ル・ヴィコント城の装飾も手がけています。
ルイ14世が即位すると首席画家として活躍します。
ヴェルサイユ宮殿の有名な鏡の間の天井画も彼のものなんですよ。

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こちら一番小さな『アレクサンドロス大王の勝利』
ルーヴルの大きな展示室には彼の作品が4点あります。
『アルベラの戦い』『アレクサンドロス大王とポロス』『グラニコス川の渡り』『アレクサンドロス大王の勝利』
タイトルを見ても戦争がモチーフになっていると予想できますよね。
最後の『アレクサンドロス大王の勝利』が約4.5mx7mの画面ですが、他の3つは約5mx12mの大きさの画面です。
面積にすると私の家より大きいです!
描かれている兵士や馬も実物よりもずっと大きく、近づいてみると精密には描かれていないんですが、とにかくダイナミックですごい迫力なんです。

この画家シャルル・ルブランは相当ルイ14世に気に入られていたようで、
絵画・彫刻アカデミーの総裁、王立ゴブラン織製作所の監督など
王の芸術に関する役職は独り占め状態だったらしいです。

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画家のリゴーの名前はそんなに有名じゃないけれど、ルイ14世といえばいつも彼の描いたこの威風堂々とした肖像が使われています
もうひとつご紹介したい作品があります。
肖像画家ヤッサント・リゴーの『ルイ14世の肖像』。
即位してから60年くらい経った頃の肖像なのでかなり年をとっているのですが、それだけに王の威厳はバッチリと描かれています。
世界史の教科書で使われている肖像も彼の作品だったので、ご存知の方も多いかと思います。

フランスのおもちゃ屋さんに行くと、動物や恐竜、騎士や貴族などの10cmくらいのミニチュア人形がたくさん売っています。
子供やマニアの大人向けの人形なのですが、その中にリゴーのルイ14世がいるんです。
大量生産なのでできの悪いものもありますが、見つけたときはちょっと嬉しい気分になりました。
おもちゃ屋さんだけでなく美術館のおみやげコーナーにもあったりするので、欲しい方は探してみてください。


住所   rue de Rivoli 75001(正式な住所はMusée du Louvre。メトロを出たらすぐわかると思います)
メトロ  1番線、7番線 Palais Royal-Musée du Louvre
開館時間 水曜日から月曜日 9時から18時(水曜日と金曜日は22時まで)
チケット 常設展とドラクロワ美術館 9ユーロ (水曜日と金曜日の18時から6ユーロ)
ナポレオンホールの企画展のみ 9.5ユーロ
常設展と企画展 13ユーロ (水曜日と金曜日の18時から11ユーロ)
毎月第1日曜日は入場無料
日本語公式サイト


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by paris_musee | 2009-08-24 00:00 | 有名ミュゼ
ニコラ・フーケの人生最高の時、人生最悪の時 Chateau Vaux le Vicomte ヴォー・ル・ヴィコント城

ニコラ・フーケをご存知ですか?
といって知っている方は、本当にフランス史をよくご存知の方です。
私も名前でさえ聞いたことがあったようななかったような、彼の人生に関してはまったくの無知でした。
歴史上には壮絶な人生を送った人物がいっぱいいますが、この人の人生も涙なくして語れないほどドラマチックです。

城内を順路に沿って進むと、後半にこのフーケの人生をクローズアップした展示があります。
なんとフーケやルイ14世などの人形がお部屋に配置されて、どんなドラマがあったのか解説してくれるのです。
フーケが使っていたお部屋は本物なのですが、人形によるシーンの再現や彼らのセリフを聞いていると、ここはディズニーランド?と思ってしまいます。
でもわかりやすく歴史の一コマを再現していて、子供も大人も楽しく学びながら城内を鑑賞できるいいアイディア。

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肖像画を見ると、かなりの男前。肖像画は脚色するのが当たり前ですが、それを差し引いても美男だと思いませんか?

ヴォー・ル・ヴィコント城の初代の城主はニコラ・フーケ。
ルイ14世時代に大蔵卿にまで上り詰めた人物です。
しかし、彼が建てたこのお城こそが、その後の人生を狂わせてしまうのです。
今回はそんなニコラ・フーケのお話をしてみたいと思います。
フーケはもともと高貴な家の息子でした。
13歳でパリ高等法院の弁護士となり、20歳で参事員請願委員、35歳でパリ高等法院の検事総長、38歳で大蔵卿となります。
肩書きがすごいですよね。
とにかく早いうちからエリートコースをまっしぐらだったようです。
当時、幼いルイ14世治下、マザランという人物が摂政として政治を掌握していました。
ニコラ・フーケはこのマザランに仕え、フロンドの乱という王権への反乱が起きたときもルイ14世とマザラン側に忠誠を誓い通しました。

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左がルイ14世、右が密告するコルベール。ニコラ・フーケの逮捕計画が秘密裏に進められて行きます。
そしてマザランの死後、彼はさらに権力を我がものにしようと野心を燃やすのです。
この頃には資産家の娘との結婚や、大蔵卿という地位によって私服を肥やしたりと、権力だけでなく財力も相当なものでした。
しかし、コルベールというマザランの後釜に就いた男に「フーケが公金を横領し王に対する陰謀を企てています」と告げ口され、ルイ14世も来るべき絶対王政に彼が邪魔だと思っていたので、ニコラ・フーケ失脚の陰謀が着々と進められて行くのです。

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本物は似ても似つかないほどに豪華だったと思いますが、これはお披露目パーティーのシーンです。ダンスをする人々の映像と手前の豪華なドレスに身を包んだ人たち、左側にマカロンタワーが置いてありました。
そんなこととはつゆ知らず、1661年8月17日、フーケは莫大な財産を費やして5年がかりでつくらせたヴォー・ル・ヴィコント城のお披露目パーティーを開催します。
豪華な装飾品、高価な絵画や彫刻、すばらしい内装を施した部屋の数々、広大で美しく整えられた庭園、どれをとっても贅をつくしたお城で、モリエールはバレエを上演し、当代きっての料理人は客人に最高級の食材でつくったおいしい料理をふるまいました。
このパーティーはフランスでも1、2を争う豪華さだったと言います。
フーケ失脚のシナリオを片手にしたルイ14世も賛辞を述べたほど。
そして王は同時に決断を下したのです。

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ルイ14世について出かけたナントで、アレクサンドル・デュマ著の『三銃士』で有名なダルタニャンたちに逮捕されるシーンです。
パーティーからわずか3週間後、フランスの権力と財力を掌握して人生最高の時を謳歌していたニコラ・フーケは、出先のナントで突然逮捕されます。
国外追放の判決がくだされるのですが、ルイ14世が不服とし、終身禁固刑を言い渡されます。
バスティーユの牢獄に3年投獄されたのち、彼はアルプスのピネローロ要塞で手記を書いたりしながら15年以上生き延び、1680年にそこで死去しました。

フランス史上に残る最も華麗なパーティーから逮捕されるまでの3週間しか、彼はヴォー・ル・ヴィコント城の城主として自由に過ごすことができませんでした。
逮捕後は2度と自分のお城に帰ることはできず、豪華な装飾品や絵画はルーヴル宮やヴェルサイユ宮殿に没収されてしまうのです。
お城がフーケ夫人のものとなったのも12年後だったといいます。

その後、フーケの息子が相続人なく他界し、ルイ14世のもとで公爵議員をしていたヴィラール元帥が買い取ります。
そして何代目かが破産すると、今度はルイ15世のもとで外務大臣をしていたショワズール公爵へ売却されました。
フランス革命の直前に城館をフランス国家に寄贈したため、革命の破壊からは逃れることができたようです。
しかしどんどんお城は荒れ果て、19世紀後半、砂糖の精製業で財をなしたソミエ氏が買い取る頃には大規模な修復工事が必要なほどの荒廃ぶりでした。
修復工事はソミエ氏の代では終わらず、現在の曾孫パトリス・ドゥ・ヴォグエ氏がその意思を継いでお城を守っています。
そう、このお城は観光客に公開されているのですが、個人所有なのです。

ニコラ・フーケの波瀾万丈な人生、いかがでしたか?
逮捕の理由は「公金横領」だったそうですが、それはマザランも他の人もやっていてみんなが目をつぶっていたこと。
なのにフーケだけこんな転落の人生を歩まされたのは、ルイ14世がヴォー・ル・ヴィコント城に激しい嫉妬を覚えたからでしょう。
事実、ルイ14世はこのお城を手がけた建築家、室内装飾家、庭園師にそのままヴェルサイユ宮殿の建築をゆだねるのです。
来週はこのお城が当時どれだけすごかったのか、建築や室内、庭園を中心にお伝えしようと思います。

Chateau de Vaux le Vicomte 
77950 Maincy
tel 01 64 14 41 90
fax 02 60 69 90 85

開館時間 3月14日から11月8日まで 10時から18まで
閉館日  7月と8月を除く毎週水曜日
イベント 噴水ショー:3月14日から10月31日までの第2、最終土曜日の15時から18時まで 
     キャンドルナイト:5月2日から10月10日まで(9月12日は除く)の20時から0時まで
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by paris_musee | 2009-03-30 00:00 | お城ミュゼ