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日本では印象派絵画が絶大な人気を誇っていますが、意外と世紀末芸術なんかも人気があるような気がします。 私が昔働いていたアートショップでは、クリムトの『接吻』のアイテムが売れていたし、アール・ヌーボー(こちらは美術工芸の「世紀末芸術」と言えます)のエミール・ガレの花器なんかは結構日本のコレクションが充実していたりします。 ギュスターヴ・モローの人気はどうなのでしょうか? 実はパリのモロー美術館でも、日本語の作品解説パネルがあったり、日本語バージョンのカタログなんかもあって、小さい美術館なのに日本人の観客が多いんだなと思いました。 ルーヴルにもオルセーにも作品があるので、名前は知らなくても作品をご覧になったことがある人は多いのかもしれません。 先週「象徴主義」は権威的なアカデミーへの反発としておきた、とご説明しました。 でもギュスターヴ・モローという人は「象徴主義」の先駆者と目されているので、アカデミーに反発するどころか、人生の大半をアカデミーとともに歩んでいます。 ギュスターヴ・モロー若かりしときの自画像。モロー美術館に展示されています。 1826年。パリで建築家の父と母の間に生まれます。 8歳のときから絵を描きまくっていた絵画少年だったようです。 お姉さんが亡くなるとショックのあまり健康を害して名門の中学校を中退してしまいます。 15歳のときに初めてのイタリア旅行に出かけました。イタリアは当時芸術のメッカだったので、いろいろな刺激を受けたのでしょうね。 そしてパリに戻ると新古典主義の画家に師事し、ボザール(フランスの芸大)に入学します。 このボザールこそがアカデミーの総本山なんです。 23歳でローマ賞(優秀な芸術家をイタリアに留学させる制度)を逃してしまいボザールをやめるとルーヴル美術館で模写に励みます。当時のルーヴルにもアカデミーのお手本のような作品がたくさんありました。 25歳のときに、テオドール・シャッセリオーというサロンの常連の画家と出会いとても仲良くなり、ピガールにアトリエを借りて精力的に作品制作をします。 翌年ついにサロンに入選。そして現在の美術館の場所に両親が家を購入して家族で住みます。アトリエもこの家の最上階に構えました。 サロンに入選したことでやっと画家として認められたモロー。すでに画家として有名人だった親友シャッセリオーと一緒に社交界にも頻繁に顔をだしていたそうです。 しかし30歳のときにシャッセリオーが亡くなると、数ヶ月家に引きこもり、翌年からイタリアに旅立ちます。 ローマ、フィレンツェ、ミラノ、ヴェネツィア、ナポリで、アカデミーがお手本としていたミケランジェロやゲロネーゼ、ラファエッロなどの作品を模写しまくったそうです。 ちなみに、のちに「印象派」の画家として有名になるエドガー・ドガとイタリアで出会い、親交を深めます。 写真が小さくて見にくいですが、こちらがギュスターヴ・モローが住んでいたアトリエ兼住居。4階建て。現在はモロー美術館となっています。 36歳のときに父が死去。 それでも精力的に作品を制作し、2年後にサロンで再び入選。作品はナポレオン3世の買い上げとなり、翌年には皇帝自らコンピエーニュのお城にモローを招待するという光栄にあずかります。 しかしその後サロンに出品した作品が酷評をうけると、しばらくサロンに出品するのをやめてしまいます。 40歳で再びサロンに出品、レジオンドヌール勲章をもらい、1878年のパリ万博にも作品を出展しています。 57歳でまたもやレジオンドヌール勲章を授与されました。 画家としての成功を社会が認めた証拠ですよね。 58歳で最愛の母が亡くなります。 62歳のときにボザールアカデミーに入ることを許され、4年後に教授としてボザールで教鞭をとります。日曜日には生徒を家に呼んだりして、教育熱心な教授だったようです。ちなみにのちに活躍するルオーやマチスもそんな生徒のひとりでした。 1895年、結婚をしなかったモローは、自分の死後作品がバラバラになってしまうことを心配して自宅を大改造します。住居部分を大きなアトリエに改修して、作品をまとめたり選んだり、手を加えたりして晩年を過ごしたそうです。死後にモロー美術館として公開するために。 1898年、モローは72歳で亡くなりました。お葬式は近所のトリニテ教会、お墓はこれまた近所のモンマルトル墓地にあります。 モローの自画像デッサン。モロー美術館には壁に特製のデッサン棚が作られていて、膨大な数のデッサンも観ることができます。 ざっと年代順に見てみましたが、「象徴主義」の画家と言われなければ、華々しくアカデミーとともに活躍した新古典主義の画家の一生と思うかもしれません。 ボザールを出てイタリア留学、サロンに入選、レジオンドヌール勲章を授与され、最後はボザールの教授としてアカデミーに返り咲きですものね。 でもアカデミーという権威と深く関わったモローだからこそ、世紀末に向かう不安な時代精神を感じつつ、神話や聖書を扱う歴史画のカテゴリーの中でのオリジナリティの模索というかたちで、モロー独自の「象徴主義」の萌芽ともとらえられるような作品が生み出されたのかもしれません。 ちょっとわかりにくい言い回しになりましたが、来週具体的な作品の解説とともにモローの立ち位置がこうだったんじゃないかなーという私の考えをお話ししてみたいと思います。 今回の画像はギュスターヴモロー美術館の公式サイト、およびWikipediaよりお借りしました。 ギュスターヴ・モロー美術館 Musée National Gustave Moreau 住所:14, rue de la Rochefoucaud 電話:0148 74 38 50 メトロ:12番線 Trinite または st-George 開館時間:10:00-12:45 昼休みをはさんで 14:00-17:15 休館日:火曜日 入場料:5euros (割引は3euros、18才以下と第一日曜日は無料) 美術館公式サイト
by paris_musee
| 2009-12-14 00:00
| 邸宅ミュゼ
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