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パリにあるとっておきミュゼをご案内します
by paris_musee
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<印象派前の絵画は? オルセー美術館 Part3 Musée d'Orsay>


オルセー美術館はとにもかくにも「印象派」の作品がたくさんあってすばらしいのですが、1848年からの作品が展示されているので印象派前夜の作品も観なくては損!
実際にチケットを購入して館内に入ると、0階(地上階)の展示室は印象派以前の作品にあてられています。
中央の吹き抜けの通路は彫刻作品でいっぱいですが、両脇の展示室にはあっと驚く作品がさりげなーく展示されているのです。
では、簡単ですが一つ一つの展示室を観て行きましょう。

<印象派前の絵画は? オルセー美術館 Part3 Musée d\'Orsay>_f0197072_1462430.jpg

アングルの『泉』
<展示室1>アングルとアングル派
アングルの作品はルーヴル美術館にもたくさんありますが、こちらでは『泉』(la source)が観られます。
デッサンを重視し、製作には写真を用いたりしていたほどなのですが、「本物そっくりに描いたものが絵画として美しいとは限らない」ということで本物からちょっとバランスを崩したり、デフォルメしたりして描くのが特徴です。

<展示室2>ドラクロワ
ドラクロワはロマン主義の画家。
アングルやダヴィット(ルーヴルに作品アリ)の知的で静かな新古典主義に反発して、ダイナミックで感情的な作品を描きました。
具体的にはモチーフを画面に対して斜めに配置したり、曲線や原色をつかったり、悲劇や異国情緒ただよう題材を描いたりします。
ドラクロワもルーヴル美術館に大作がたくさんありますので、そちらも是非観てみてください。

<展示室3> 1860~1880年
保守的なアカデミーがよしとする絵画と印象派(革新的な)絵画がちょうど交錯する時期です。
この展示室では、以前ご紹介したカバネルの『ヴィーナスの誕生』(la naissance de Vénus)を目の前で観てください。
彼はサロンの常連で、かなり影響力をもっていた画家ですが、この透き通るように白い肌をもち、目を半分閉じて恍惚の表情の女性はギリギリのところで上品さと神秘性を保っていて、美しいなあと思います。

<印象派前の絵画は? オルセー美術館 Part3 Musée d\'Orsay>_f0197072_1464282.jpg

ドーミエの風刺彫刻。当時の政治家の顔がわかってたらもっと面白いでしょうね。
<展示室4> ドーミエ
この部屋にはドーミエの風刺版画、風刺彫刻、絵画があります。
19世紀は市民がどんどん力をつけていく時代ですが、まだまだ識字率は低く、新聞を読める人はあまりいませんでした。
でも難しい時事問題を風刺したイラストが入った新聞が大流行、ドーミエは風刺版画の仕事で成功します。
写真も新聞に使われていなかった当時の政治家や文化人の特徴をよくつかんだドーミエの鋭くユーモアのあるイラストはとても面白いですよ。
ちなみにフランスではいまだに風刺イラストの新聞が結構残っていて、メトロで読みふける人を見かけます。

<展示室5>バルビゾン派
以前ご紹介したフォンテーヌブローのお城の近くにバルビゾンという村があります。
ここで自然をモチーフにした絵を描いたミレー、コロー、ルソーなどの画家たちをバルビゾン派と呼んだりします。
コローの作品はルーヴル美術館にもたくさんあるのですが、旅行中に出会った普通の自然の風景を、奥深い森の中に現れる池や木漏れ日などどこか神話チックに描いているのがとても癒されます。
ちなみに日本初の「西洋画」はバルビゾン派でした。
現・東京芸術大学で明治時代に油画科が新設された時の教授が影響を受けていたからです。
黒田清輝なんかも間接的にバルビゾン派だったと言ったら大げさでしょうか。

<展示室6>オリエンタリズム
フランスの人はオリエンタル、エキゾチックなものが大好き。
パリなんかは特に、アフリカ、アラブ、アジアの文化がミックスされて今でもとても国際的です。
19世紀には政治的にも海外遠征などでアフリカやアラブ諸国のイメージが新鮮で興味深いものでした。
サハラ砂漠やアルジェリアなどの風景画がここに展示されています。

<印象派前の絵画は? オルセー美術館 Part3 Musée d\'Orsay>_f0197072_147274.jpg

ミレーの『晩鐘』です。農民の大地の豊穣に感謝と祈りを捧げる崇高な時間を描いています。
<セーヌギャラリー>
ミレーの『晩鐘』(l'Angélus)『落ち穂拾い』(Des glaneuses)、コロー、マネ『草上の昼食』(le déjeuner sur l'herbe)、モネ、ピサロ、シスレーの贅沢なオンパレードです。
小振りな作品が多いですが、見応えがあります。
ミレーの『種をまく人』は山梨県立美術館にも所蔵されているんですよ。
余談ですが『種をまく人』は岩波書店のシンボルマークにもなっています。

<印象派前の絵画は? オルセー美術館 Part3 Musée d\'Orsay>_f0197072_147232.jpg

クールベ『オルナンの埋葬』 と〜っても大きな作品です。老夫婦がずっとこの作品の前でなにやら話をしていました。フランスの老夫婦はおしゃれです。
<展示室7>クールベ
クールベの大きな作品が3つ展示してあります。
ここにある有名な『オルナンの埋葬』『画家のアトリエ』は、1855年のパリ万博に展示しようと応募するのですが却下されました。
歴史画のように大きく大げさな絵画ですが、アカデミーの決まり事を守っているとは言いがたかったからです。
仕方がないから展覧会場の横で彼は勝手に「クールベ展」を開催してしまうんですね。
これが史上初の個展だとも言われています。
『オルナンの埋葬』に見られるような白い絵の具のペタペタ感がちょっと新しい時代を呼びそうな予感がしませんか?

<展示室8>建築設計図
こちらの展示室は19世紀に次々と建てられた建造物のデッサンや設計図などを集めた部屋です。
オペラ座、シャンゼリゼ、グランパレ、オルセー駅、ルーヴル美術館など今でも見ることのできる建築計画が見れますよ。

<印象派前の絵画は? オルセー美術館 Part3 Musée d\'Orsay>_f0197072_1474568.jpg

金ぴかの化粧台です。貴族の結婚祝いに作られたものとか。こんな鏡台でお化粧をしたら厚化粧になってしまいそう!?
<展示室9>19世紀の装飾美術
パリ万博などに出品されたり、貴族たちに頼まれたりして作られた飾り棚や化粧台、テーブルなどが展示されています。
ゴテゴテ、ピカピカのすごいものが多いのですが、その「すごい」技術を国内外にアピールしたのが19世紀の万博のテーマでもあるので納得です。

<展示室10>
私が訪れた日は展示変え中でした。いつもは何をやっているのでしょうか??

<展示室11>シャバンヌ
シャバンヌという人の不思議な雰囲気の絵画がたくさんあります。
ほわほわーっとしてて何とも形容しがたい作品ですが、筆遣いが荒っぽかったり、それはそれでこの時代には珍しそうな新しい作品です。

<展示室12>モローなど
ギュスターブ・モローも不思議な雰囲気の作品を描く作家です。
題材は神話などからとっているのですが、例えば登場人物の洋服の模様などが異様に細かく描かれたりしてびっくりします。
パリにはモローのアトリエを改造した美術館がありますが、こちらも雰囲気があってオススメです。
1週間以内でしたら、オルセーのチケットを見せれば入場料が割引になるそうです。

<展示室13>1870年以前
ドガの作品がたくさんあります。
バレエの練習をする少女たちを描いた作品で有名ですね。
印象派の作家たちとつるんではいたのですが、彼の興味は自然よりも人間でした。
生活感あふれる人間や、ポートレートが展示されています。
彼は住んでいたモンマルトルの墓地に眠っています。

<印象派前の絵画は? オルセー美術館 Part3 Musée d\'Orsay>_f0197072_148992.jpg

マネの『オランピア』 右端の暗闇に黒猫がいるんですよ。中央の女性がしているチョーカーはオルセーのミュージアムショップで売っています。
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こちらマネの『バルコニー』 彼が描く女性は黒髪で強い意志をもったまなざしをしている人が多いです。
<展示室14>マネ
私はマネが大好きです。
この展示室はそんなマネ好きにとって狂喜乱舞してしまうところ。
『オランピア』(Olympia)に『エミール・ゾラ』(Emile Zola)『笛を吹く少年』(Le fifre)『バルコニー』(Le balcon)といった大作がここに展示されています。
マネのお話はいつかまたあらためてしたいと思います。

<展示室15,16> クールベ
さきほどのクールベの小品があるのがここです。
16展示室の奥に飾られている『種の起源』(L'origine du monde)は是非観てください。
タイトルと、写実的であることにこだわったクールベの絵画にウンウン、とうなってしまう一品です。

<展示室17, 19, 20, 21>
展示変え中で閉鎖されていました。
普段は寄贈されたコレクションを見せているようです。

<展示室18>モネ
マネだのモネだの紛らわしいのですが、有名なマネの『草上の昼食』と同じタイトルの作品があります。
モネも光に取り憑かれてどんどんと抽象的な方向に行ってしまうのですが、ここにある作品はかなりデッサンのきちんとした作品たち。
描かれたブルジョワの楽しいピクニックの様子が伝わってきます。

<展示室22>ピサロ、シスレー
ピサロとシスレーの風景画を中心に集めた展示室です。
戸外で自然の光に包まれながら描いた彼らの作品は気持ち良さそうな空気が流れています。
ちょっと筆致が荒々しくなって来たけれど、晩年ほどではありません。
5階の「印象派」コーナーにも彼らの作品があるのでその違いを比べてみてください。

<展示室23>自然主義的風景画
印象派前夜なんですけれど、まだまだ「そっくりそのまま」の呪縛から抜け出せないのがこの0階の作品群。
こちらの展示室ももれなく、このままリアルに描くことはなんか違うと気づきながらもそこから進めないでいる作家たちのジレンマが見えるような気がします。


いかがでしたか?絵画だけのご紹介でしたが、展示室を番号順に巡ると画家たちがどのようにスタイルを変えて行ったのかがわかります。
デッサンが命、神話や歴史の物語重視、筆致を残さないツルツルの画面がいいとされていたのに、だんだんとデッサンが狂い始め、日常の出来事をモチーフにし始め、筆跡がわかるような荒々しい筆致になってきました。
まだ作品が何を描いたかは完全にわかりますよね。リアルです。
でも印象派の飛び抜けた「新しさ」は、この0階にある作品の「リアル」との葛藤の後に産まれたものと言っても過言ではありません。
なのでやっぱりこの階をざざーっと観てから5階の展示室を観ていただきたいと思います。

次回は0階の奥のちょっとしたコーナーについてお話しますね。
# by paris_musee | 2009-03-02 00:00 | 有名ミュゼ
<印象派の殿堂 オルセー美術館 Part 2 Musée d'Orsay>
<印象派の殿堂 オルセー美術館 Part 2 Musée d\'Orsay>_f0197072_1392864.jpg

前回紹介できませんでしたが、オルセー最上階の時計のクローズアップ。パリとオルレアン間を結んでいたことが刻まれていますね。

日本で一番人気の画家って誰なんでしょうか。
ゴッホ?ゴーギャン?セザンヌ?ルノワール?マネ?モネ?ドガ?
ここに挙げた画家の名前を聞いてピンと来る人はかなり多いと思います。
日本人にとって、これら印象派の画家はとても身近なものではないでしょうか。
理由はいろいろあると思うのですが、やっぱりルネサンスや17世紀、18世紀の絵画よりも、「作品を観るために必要な基礎知識」といったキリスト教の世界観、近世の政治史などなくても観られる気軽さがウケているのだと思います。
日本に育った以上、特別な理由がなければ『最後の晩餐』の登場人物やエピソード知っていたり、宮廷画家が描く王一家が誰なのかわかる人は少ないですものね。

日本でも上野の森やそこかしこでゴッホやセザンヌ、モネなどの作品を観る機会は結構あるのですが、もしパリで印象派の作品をみたいならば絶対に「オルセー美術館」を外すことはできません!
右を見ても左を見ても印象派だらけ、一級品の作品に囲まれて嬉しい悲鳴をあげてしまうようなところです。
でもやはり貴重な作品ばかりで、観たい作品が貸し出し中になっていることも多いので運を天に任せましょう。
それでも十分な量の作品と向き合えるので絶対に損はしません!

来週、この美術館の中でとりわけチェックしたい作品をご紹介しますが、今回は「印象派」全般のマメ知識をお話ししたいと思います。
まず、印象派は19世紀後半にフランスでおこった芸術のムーブメントです。(音楽などでも印象派と呼ばれるものがありますが、ここでは美術のみお話しします)
そして覚えておきたいのが、当時支配していた「**でなければいけない」という決まり事への反発です。
<印象派の殿堂 オルセー美術館 Part 2 Musée d\'Orsay>_f0197072_1321222.jpg

こちらカバネルの『ヴィーナスの誕生』という作品。アカデミー常連の彼の描く作品は採点基準をクリア!生身の人間以上に完璧なデッサン、裸体だけどヴィーナスなのでよし、上品さが貴族好みなどなど。
19世紀前半まで、絵画にはいろいろな決まり事がありました。
「そっくりに描かなければいけない」「歴史的事実を描くといい絵と言われる」「エロチックな裸体は描いてはいけない(裸体を描く時は宗教や神話の登場人物とする)」「貴族やブルジョワ趣味の絵がすばらしい」などなど。
そしてその「いい絵」であることを決める団体が美術アカデミーでした。
この団体が毎年サロンと呼ばれる展覧会を開き、そこに展示できる選ばれた作品がちまたで評価されたのです。
サロンへ出展できることが若手画家のキャリアの第一歩であり、さらに一番すばらしい絵を描いた画家にはローマ修行旅行の特典がありました。
ところが、とにかくそっくりに描くことや、いろいろな決まり事を守った作品ばかりが選ばれるのですから、画家の方も知恵をつけて選ばれるための作品しか描かなくなって行きました。
新しい技法、面白いモチーフを描いた自由で生き生きとした作品は評価されなかったので、描くだけムダでした。
大げさですが、アカデミーは保守化してみんなおんなじ、どれもこれもやっつけ仕事のつまらない展覧会になってしまうのです。

<印象派の殿堂 オルセー美術館 Part 2 Musée d\'Orsay>_f0197072_1265935.jpg

こちらはマネの『草上の昼食』 アカデミー的にダメだった減点ポイントは、その辺にいる女性の裸体=下品、よくあるピクニックの風景に裸体=低俗、色の塗り方が平面的で本物っぽくない=ヘタクソ。
印象派の父なんて呼ばれているエドゥワール・マネの代表作『草上の昼食』は、アカデミーによって下品でへたくそと判断され落選します。
森の中の裸体表現は過去にもたくさんあったのに、マネの裸体が神話や宗教上の登場人物ではなく、生々しい普通の女性というので却下されたのですね。
そしてマネの特徴でもあるのですが、奥行き感のない、ペッタリした2次元的な感じの塗り方が「ヘタ」の烙印を押されてしまったのです。
当時の絵は、陰影がついててあたかも本物がそこにあるような遠近感のある写実的な絵が主流でした。

この絵は、そのとき落選した他の作品とともに落選展という展覧会に出品されました。
目的は「ほら、この人たちの作品はサロンに落選しても仕方がないダメな作品ですよね」と念を押すためで、実際美術批評家をはじめ観客は「そうだ、そうだ」と嘲笑したのだそうです。
でも、一部の人は「まてよ、これは新しい時代の絵画を牽引するような鋭い視点を持っている!」と評価しました。

こうした既成概念を打破するような新しい作品への支持が次第に高まり、アカデミーの保守化した体制への反発も強まり、いよいよ印象派の画家たちが自由に作品を描いてもいいという土台が作られるのです。

ちなみに、19世紀後半に写真技術が発表されたことも、印象派の登場に一役買っています。
というのも一瞬のうちに現実の世界をそっくりそのまま写し取ることが可能だとわかったので、何日もかけてそっくりそのまま描く写実的な絵画への必要性もなくなっていったからです。

マネのスキャンダラスな作品のおかげで、19世紀後半から絵画の(アカデミーの)既成概念を無視したこだわりの絵画を描く若手画家が急増し、印象派と呼ばれるほどのムーブメントが起きた、というわけです。

今の視点から印象派の作品観るとその革新性が霞んでしまうのですが、写真も一般的ではなかった当時の人の気持ちになって観てみると「まあ、こんなモチーフを絵画に!?」とか「ちょっと、こんなブツブツができた肌なんてあり得ないわ!」とか「この荒々しい筆遣いが邪魔だ!」なんて思うかもしれません。
眉を潜めてしまうようなことが、だんだんと印象派の新しさ、生き生きとした作品として評価されて行ったのです。
# by paris_musee | 2009-02-23 00:00 | 有名ミュゼ
<万博のために! エッフェル塔 la tour Eiffel>
<万博のために! エッフェル塔 la tour Eiffel>_f0197072_534141.jpg

こちらシャンドマルス公園から見たエッフェル塔。この公園も広大で、この位置からエッフェル塔まではすごく離れています。夏は芝生でピクニックする人がたくさん!メリーゴーランドもロバもいます。

先週はオルセー美術館の建物がパリ万国博覧会のために作られた鉄道駅だったというお話をしました。
万国博覧会、略して万博。
日本でも大阪万博、つくば博、愛知万博と開催された、あの「万博」と一緒です。
いろんな国が開催地に一同に集まり、その時代のすぐれた技術、イチオシのテーマを各国パビリオンでひろく展示するというのが万博の目的でしょうか。
商品技術のオリンピックのようなものをイメージしていただければわかりやすいかと思います。

沢山の国が参加する国際的な博覧会は1851年のロンドン万博が世界初。
19世紀、20世紀には世界中で万博が大流行、パリでは9回も行われています。
万博は3ヶ月から半年も開催されている国をあげてのお祭りなので、会場となる建物はもちろん、目玉となる建造物を作ったりするんです。
大阪にある「太陽の塔」も1970年の大阪万博のために岡本太郎によって作られたモニュメントです。
今パリにあるシャイヨー宮(1937年)、パレ・ド・トーキョー(1937年)、グラン・パレ(1900年)、オルセー駅(1900年)、アレクサンドル3世橋(1900年)、エッフェル塔(1889年)などはパリ万博のときに作られた建造物なんですよ。
万博がなかったらパリはもっと質素だったでしょうね。

ちなみに日本は第2回パリ万博から江戸幕府として参加、展示品もさることながら、ちょんまげで羽織袴姿の使節団に西洋人はびっくり!
エキゾチックな出で立ちが話題になりました。
流行に敏感な印象派のアーティストたちはいち早くこの「オリエンタル」なイメージを作品に取り入れます。
そう、印象派の中でジャポニズムが流行ったのも、パリ万博と関係があったのです。
モネもゴッホもセザンヌも会場に来ていたのかもしれませんね。

第4回パリ万博で作られたモニュメントがエッフェル塔でした。
1889年に行われたこの万博は、展示面積も増やし、規模を大きくしようと気合いが入っています。
何故ならフランス革命から100周年の記念すべき年だったからです。
記念になるようなスゴイ建造物を建てようとコンペが開かれ、そこで選ばれたのがギュスターヴ・エッフェルのタワー。
エッフェルさんはNYにある自由の女神像の骨組みを作ったり、パリのリヨン駅やブタペストの駅を作ったりしていた技術者でした。
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セーヌ川をまたいだ向こう岸の丘、トロカデロ駅にあるシャイヨー宮からの眺め。

建設は2年2ヶ月と5日というスピードで行われました。こんな突貫工事でありながら、死者がでなかったこともすごいことでした。
幅が125m、1階までが57m、2階までが115m、3階までは250m、てっぺんまでの高さが312mの世界一の塔(1930年にNYのクライスラービルにその世界一の座は奪われてしまいました)が出来上がります。
まだ映画もメトロもライト兄弟の飛行機もなかった時代ですから、人々はびっくりしたに違いありません。
賛否両論、非難囂々のエッフェル塔は、エッフェルさん自ら1889年3月31日に国旗を掲げるセレモニーで幕をあけます。
オープニング当初から最新式のエレベーターが備えられ、階上からパリが一望できるというもので人気を博しました。
おかげでこの時の万博は3225万人と前回の2倍の人出になります。
万博後は入場者が激減し取り壊しの計画もあったのですが、タワーてっぺんにテレビとラジオのアンテナをつけたり、軍の通信に使うという役割を与えられ存続の危機を免れました。
エッフェルさんは一般客が入れない4階に科学者のための研究室兼事務所をつくり、彼らの研究や実験に大きく貢献したといわれています。
1960年代頃から万博当時の入場者数を上回る観光のメッカになり、今ではフランスといえばトリコロールにエッフェル塔というくらい世界的に有名なシンボルとなっています。

公式サイトに載っている「数字で見るエッフェル塔」をご紹介しましょう。
5分 エコを意識して時間が短縮しましたが1時間に5分だけキラキラと点滅します。遠くから見るとエッフェル塔が震えているみたいでかわいい!

5位 2004年の記録ですが、観光客がパリで訪れる人気スポットでは意外にも5位。ちなみに1位はノートルダム寺院、2位ディズニーランド(!?)、3位サクレクール寺院、4位ルーヴル美術館、6位ポンピドウセンター、7位ヴェルサイユ宮殿、8位ラ・ヴィレット、9位オルセー美術館、10位自然史博物館だそうです。2位のディズニーランドにはびっくりです。

324m 建築当初は312mでしたがアンテナが付け加えられ現在は324mあるそうです。東京タワーより低いのですね。

1665段 最上階までの階段の数です。

1991年 セーヌ川とエッフェル塔が世界遺産に登録されました。

250万本 使われている鋲の数。

300万ユーロ 7年に一度ペンキを塗り直していますが、その1回のペンキ代です。ペンキは3色で頂上に行くほどトーンが明るくなってます。

10100トン 総重量。鉄骨だけでも7300トン!
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アルマ・マルソー橋から見たエッフェル塔。この橋のたもとにセーヌ河を遊覧する船、バトー・ムーシュがあり、ディナーをしながらエッフェル塔を見上げるのも素敵です。

いつも混んでいて実はまだのぼったことのないエッフェル塔ですが、ふもとのシャンドマルス公園の芝生に寝そべって下から見上げるのが一番好きです。本当に大きくて、しばし時間を忘れてしまいますよ。
またシャイヨー宮のベストシューティングスポットから見下ろすのも素敵。
セーヌ川にかかる橋(特にアルマ・マルソー橋)からの眺めも夕暮れ時なんかロマンチックです。
時間とお金のある方はエッフェル塔の2階にある有名シェフ、アラン・デュカスがプロデュースする1つ星レストランJules Verneで、パリの景色を見下ろしながらお料理を食べてみてはいかがでしょうか。
ちなみにシャンドマルス公園近くのサン・ドミニク通り(rue St-Dominique)やその周辺にはおいしいケーキ屋さん、パン屋さん、チーズ屋さん、チョコレート屋さん、レストランなどがひしめいていますので、エッフェル塔まで行かれたらついでにお土産を買いに散歩するのも楽しいですよ。
とにかくパリに来たら絶対に足を運んでいただきたい、存在感のあるタワーです!

エッフェル塔
最寄り駅 メトロ6番線 Bir-Hakeim駅 6・9番線 Trocadero駅 8番線 Ecole Militaire駅
     RER C線 Champ de Mars-Tour Eiffel駅
入場料 エレベーター 1階まで4,80ユーロ 2階まで7,80ユーロ 3階まで12ユーロ
    階段 4ユーロ (25歳未満 3,10ユーロ)
営業時間 9:30から23:00まで (9:00から24:00まで 6月下旬から8月まで)
レストランのサイト
# by paris_musee | 2009-02-16 00:00 | ミュゼ以外の歴史的建造物
<昔は駅でした オルセー美術館 Musée d'Orsay>
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2003年頃に撮ったオルセー美術館の外観。この頃は正面入り口が工事中で、側面の入り口から入場でした。長い美術館です。画面左の大きな時計の裏に素敵なカフェテリアが。

パリに来たからには是非行きたい美術館、ルーヴルに次いで人気なのはオルセー美術館ですよね。
場所もルーヴル美術館とセーヌ川をまたいでお向かいさんにあり、昔母と観光でパリに来ていた時は頑張ってハシゴしたりしていました。
一応このふたつの美術館には役割分担がありまして、1848年以前がルーヴル、以降がオルセー(さらに1914年の第一次大戦以降はポンピドウセンター内の国立近代美術館)と時代分けがされています。
オルセーが担当しているのは「印象派」の時代のド真ん中でして、印象派が大好きな日本人に大人気なのもうなずけます。

ちょっと意外だったのは、オルセー美術館の開館が1986年であること。
建物もパリの古い町並みにしっくりととけ込んで貫禄すら感じてしまうのに、私よりも若いとは!!
どういう事情なのかと調査してみると、なるほど納得、使われなくなった駅舎をそのままミュゼに改造したからなのです。
駅舎としての歴史はパリ万国博覧会が開催された1900年。
エッフェル塔ができ万国博覧会で華やぐパリを一目見たいと、フランス各地、近隣諸国からの旅行者が集まるんです。
人が集まるからには交通手段ということで、パリのど真ん中に到着するオルセー駅をつくったというわけです。
オルレアン方面からやってくる人々を一気に受け入れた大きな駅舎は当時流行っていたアールヌーボー調の装飾と彫刻を施した大円天井が特徴で、豪華なステーションホテルが併設されていた時期もありました。
万博のためにオーステルリッツ駅(これは今でも現役)から延長してわざわざ建設したのですが、1939年には駅は廃止され、ホテルだけが残りました。
1973年に歴史的建造物に指定された頃から、ミュゼにしよう!なんて声もあがり86年にオルセー美術館がオープンとなりました。
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オーヴェル・シュル・オワーズに行って、ゴッホの軌跡を歩いてみました。これは当地の教会。
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上の教会をゴッホが描くとこうなります。実物はオルセー美術館で観てください!
さきほども言いましたが、オルセーといえばやっぱり印象派。
狙ったのかどうかはわかりませんが、駅舎の空間で見る印象派の作品が非常にマッチしているんですよね。
というのも、印象派が活躍した時期は、鉄道が発達した時期とかぶります。
パリを見に地方から人々が集まってくる一方で、パリから郊外へ行くピクニックもさかんになります。
レジャー、日帰り旅行の誕生です。
印象派の画家たちも画材道具、デッサン用具を片手にパリの駅から郊外へスケッチ旅行に出かけます。
例えば、今も昔と変わらずパリの北西に向かう列車を受け入れるサンラザール駅。この駅舎やホームも数多くの画家に描かれました。
サンラザール駅から印象派の作品の舞台になった場所へ日帰り旅行ができます。
ゴッホの終焉の地オーヴェル・シュル・オワーズや、モネが住んだアルジャントゥイユやジヴェルニーも1,2時間ほど。
当時のパリ郊外の緑多いほのぼのとした景色を描いた印象派の作品をオルセー美術館で観ると、不思議と「こんな駅舎から出発したんだなー」とイメージが湧いてくるのです。

オルセー美術館、印象派の絵画だけでなく、19世紀後半の華々しい文化が咲き誇った時代の装飾美術、彫刻、写真、建築、グラフィックなども観ることができます。ルーヴル美術館よりも小さく(それでも大きいです!)、19世紀の内装を再現したクラシカルで素敵なレストラン(お昼は16.5ユーロのコースあり)や最上階の大時計からパリを望めるカフェテリアもオススメなので、時間があったら是非行ってみてください。

オルセー美術館
住所 1, rue de la Légion d'Honneur, 75007 Paris
開館時間 9:30-18:00(木曜日のみ夜間営業 21:45まで)
閉館日 月曜日
行き方 RER C線 Musee d'Orsay駅下車すぐ
チケット 8ユーロ(5,5ユーロ 30歳未満、木曜日以外の16:15以降、木曜日の18:00以降)18歳未満は無料
     オルセー美術館とロダン美術館の割引入場券 12ユーロ(同日入場のこと)
     入場後8日以内にオルセー美術館のチケットを見せれば、ギュスターヴ・モロー美術館とオペラ座の見学コースのチケットが割引料金になるそうです。


*ちょっと更新が遅くなってしまってごめんなさい。
取材に行く時間がなくて写真不足です...。
来週こそは新しい写真をアップしたいと思います。
# by paris_musee | 2009-02-09 00:00 | 有名ミュゼ
<フランス革命の火薬庫? パレ・ロワイヤル Palais Royal>
<フランス革命の火薬庫? パレ・ロワイヤル Palais Royal>_f0197072_2141155.jpg

今はすっかり葉っぱが落ちてしまいましたが、夏は青々と茂る剪定された木々と噴水と青空が気持ちよく、散歩や読書に最適のお庭です。

ルーヴル美術館に行く時に、メトロの1番線、7番線を使うとPalais Royal-Musée du Louvreという駅で下車します。
今日はルーヴルではなくて、パレロワイヤルのお話をしたいと思います。

Palaisはフランス語で宮殿、Royalは国王の、という意味です。つまりパレロワイヤルは王宮のことなのですね。
現在、憲法評議会と国務院、コメディ・フランセーズが入っていますが、もともとは王宮だったのです。

17世紀の中頃はルイ13世の宰相リシュリューという人の城館でした。
その後ルーヴル宮殿にいた幼いルイ14世が母と弟とここに引っ越したことからPalais Royalと呼ばれ始めます。
ルイ14世はご存知の通りヴェルサイユ宮殿に夢中になってパリを離れますが、彼の弟、オルレアン公フィリップがこの城館を引き継ぎます。
お庭は一般公開されていたそうですが、建物は貴族とお金持ちしか借りることはできませんでした。

18世紀末には、パレロワイヤルはパリで一番の繁華街になります。
劇場やブティック、書店、ギャラリー、カフェやレストランなどが並んでいたといいます。
男性はカフェで政治の議論をし、女性はウィンドーショッピングを楽しんでいたのでしょう。
デートなら観劇とレストラン、庭園散歩というお決まりのコースがあったかもしれませんね。

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ピカピカに磨き上げられた銀食器のブティックや1930年代のシャネルのドレスを売るヴィンテージショップなど、ウィンドーショッピングが楽しいアーケード。
ちなみにデパート(百貨店)の起源はパレロワイヤルにできたアーケードに立ち並ぶ洋品店だとも言われています。
最新のモード、最高の贅沢品がここを歩くだけで手に取るようにわかる、女性にとっては嬉しい場所ですよね。
それにきれいな庭園があればここを散歩しながらお友達と楽しい時間が過ごせたに違いありません。

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レストランやカフェもあります。
今では当たり前のように利用するレストランやカフェも、当時はとても新しいものでした。
それまでは誰かの家の厨房でお抱えシェフが作る料理を家人や招待客が食べていました。
ところが、レストランやカフェというのは、誰かの家に招待されたり、自分の家にいなくても好きな時に食事ができる画期的なものだったのです。しかも1皿の値段が明確で、お腹の具合によって食べたいものを食べたい量だけ注文できるのです。
こういったレストランを開いたシェフはたいがい王侯貴族のお抱えシェフ出身だったので、上流階級の食事が一般市民(ブルジョワ階級ですが)にも浸透することにもなりました。一般人にも美食家が増えていくのです。

またここは王族の所有物であるがゆえに警察が介入できず、高級娼婦や高利貸しなんかもウロウロしていて、怪しい飲み屋やカジノも繁盛しました。
毎日お祭り騒ぎのようににぎわっていて、食べたり飲んだり議論したり、騙したり騙されたり、ここに来ればとにかく刺激的でした。
奇しくもルイ16世に密かに反発していたオルレアン公の所有地であったため、国王一家を中傷するビラがたくさん出回り、若者が国王のない未来を夢見て熱く語ることのできた場所でした。
そして1789年、フランス革命が始まった年ですが、最初のデモ行進がパレロワイヤルにあったフォア(cafe du Foy)というカフェから出発するのです。
それがどんどん大きくなってついにバスティーユを襲撃しました。
あの有名な、パンを求めてヴェルサイユまで行進した女性たちのデモも、ここが出発点になっています。
パレロワイヤルなくしてフランス革命は語れないのです。

そんなこんなでフランス革命が終わり、パリの繁華街はもうちょっと北の方へと移動します。
その後は改修したり荒らされて略奪にあったり、ナポレオン1世の弟が住んだり、火災にあって大改修したり...。
20世紀に入ってからは、詩人のジャン・コクトー、女優のジャンヌ・モロー、小説家のコレットが住んだ時期もあったそうです。
そして、1985年文化相のジャック・ラングによって、南の中庭に現代美術家のダニエル・ビュランによる260本の黒白ストライプの大理石の円柱が屋外彫刻として展示されています。(残念ながら現在は修復中で見ることができません。)
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現在は赤い壁で工事現場を覆っていて、ところどころにはめてある色ガラスから工事の様子を見ることができるようになっています。これは黄色の小窓から見たところ。
いろいろな歴史がありましたが、現在はとてものどかな散歩&ショッピングコースになっています。
ダニエル・ビュランの彫刻の広場を抜けると、剪定された並木と噴水の庭園があり、その周りを建物が取り巻いています。
その1階にはいい状態のヴィンテージのドレスが揃うお店や、有名ブランド、アンティークを扱うお店、ギャラリー、カフェ、レストラン、コメディーフランセーズ(劇場)などが入っていて、実のところ昔も今も入ってるお店は同じなんですよね(カジノや娼婦宿はありませんけど)。
ウィンドーショッピングをする犬を連れた毛皮のマダムがいたり、噴水の前で本を読んでるムッシューがいたり、ここに来るとちょっとパリっぽいなーと思います。
観光客が多いルーヴル美術館の目と鼻の先にあるひっそりとした歴史的建造物、特に見るものがあるわけではないですが時間があったら行ってみてくださいね。


住所 Place du Palais Royal  75001 PARIS
メトロ 1番線 7番線 Palais-Royal- Musée du Louvre



# by paris_musee | 2009-01-26 00:00 | ミュゼ以外の歴史的建造物